神祠 (万葉歌 「櫻兒伝説」、娘子塚)


大和国高市郡
奈良県橿原市大久保町405-3
(住所は隣接する「大久保町公民館」のもの)
(周辺に停め置き可)

■祭神
娘子


万葉歌にある「櫻兒伝説」、その櫻兒の墓と伝わる小さな「娘子塚(をとめづか)」の頂に鎮座する神祠。
◎万葉歌は二首あります。まず一首目。
━━春さらば 挿頭(かざし)にせむと 我が思(も)ひし 桜の花は 散り行けるかも━━(巻16-3786 作者不詳)
意訳/「春になったら挿頭(妻)にしようと思っていた桜の花は散ってしまった」
◎二首目。
━━妹が名に 懸けたる櫻 花咲かば 常にや恋ひむ いや毎年(としのは)に━━(巻16‐3787 作者不詳)
意訳/「愛しい女の名と同じ桜、花が咲けば恋しさに堪えられない、来る年も来る年も」
◎この二首は「由縁ある雑歌」として上げられており、その「由縁」というのは以下の通り。
━━昔、櫻兒という娘子(をとめ)がいた。 二人の壮士(をとこ)が命がけでこの娘子を手に入れようと争った。娘子は嘆き「一人の女が二つの家に嫁ぐことなど未だ聞いたことがない。二人の男を和解させようもなく、事態を収めるには私が死ぬ他はない」と言い、林に入り木に首を吊って死んだ。二人の壮士は血の涙を流し悲しんだ。その二人が悲しみを表し作った二首━━(大意)
◎当地はかつて「大窪村」と称された地。隣接して大窪寺という仏教施設があります。そちらは天武天皇朱鳥元年(686年)に封戸が授与されたと紀に記されています。
◎この「大久保町」はかつて存在した「洞村(ほらむら)」から、全村移転してきた町。かつて居住していたのは「畝傍山」北東麓の尾根裾。真の神武天皇陵と思われる「丸山宮跡」を明治の移転まで代々守り抜いてきた村民。明治政府が新しく神武天皇陵を拵えるにあたり、見下ろす格好になるとされ、余儀なく移転されたという経緯を持ちます。


右側奥に「娘子塚」、左手前は「歴代天皇遥拝所」。

フェンス手前を入ると神前へ。

公民館側から。

案内板は文字が消えて判読できません。


万葉歌は本文中に示した通り。

神武天皇陵に正対する格好、伊勢神宮を向いて拝することになります。




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。