川辺八幡神社 (大阪市平野区長吉川辺)


河内国丹比郡
大阪市平野区長吉川辺1-4-38
(境内に駐車可、ただし転回場所無し要注意)

■旧社格
村社

■祭神
品陀別命


「大和川」北岸の堤下、密集市街地にあってやや寂れた雰囲気の集落内に鎮座する社。現在は「大和川」に合流する「東除川」が社横を流れていたようです。
◎創建年代は不詳。石清水八幡宮からの分祀とされるものの、周辺五村の総氏神であった深居神社からの分祀とする説も。
往時は社殿も壮大で社領も四丁歩以上に及んでいたとのこと。ところが宝永元年(1704年)の「大和川のつけかえ」工事により、立ち退きがなされ、社領地の大部分が川床になったようです。
◎旧社名は若宮八幡宮。境内には「若宮八幡宮御遷座縁起」とした案内が掲げられます。
━━一七〇四年大和川付け替え工事によって若宮八幡宮(川辺八幡神社旧名)悉く河床に没せんとしたる時、枚岡明神の方より黒雲現れ出でて七日七夜空をおおいて、氷雨降り雷鳴やまず村人天を仰ぎて恐れおののく。
時に神田の守人、田の畔を見回りしに「雨降り止まぬは、龍神の悲しみ尽きぬ涙の雨、雷の空に満るは、龍神の怒り叫ぶが故なり」と聞く。守人声する方を望めば、そこには案山子のみ在り。
この話を伝え聞いた村人は、若宮廃宮をかしこみて、まさに水没せんとする若宮より御神体を神輿に乗せて遷し申し、この地に祠を築き、斎祭ったと伝わります。
九月秋の大祭に足洗い神事と称し、大和川に神輿を乗り入れるのは、名残であります━━
◎「河内水仙郷」と名高い「大井水仙郷」の西に位置し、「東除川」堤防には水仙の一大群落があり、「川辺の水仙の里」と称されていたと伝わります。現在の境内には水仙が多く植えられ、一面に水仙が咲いています。






禊社と黒龍神。宮司のセンスの良さが窺えます。


大楠の根元に祀られる龍王社。



右側(向かって左側)は金吉稲荷・厳島姫大神、左側(向かって右側)は歯神大神・少彦名神。歯神大神は地主神としていますが、丹比郡内で「歯神」となると瑞歯別命(第18代反正天皇)が連想されます。

﨔の明神


境内には一面に水仙。ちょうど開花時期の参拝となりました。



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