枚岡神社
(ひらおかじんじゃ)


河内国河内郡
東大阪市出雲井町7-16
(P有)

■延喜式神名帳
枚岡神社 四座 並名神大 月次相嘗新嘗 の比定社

■社格等
[旧社格] 官弊大社
[現在] 別表神社
河内国一宮

■祭神
[第一殿] 天児屋根命
[第二殿] 比売御神
[第三殿] 経津主命
[第四殿] 武甕槌命


河内国一宮。春日大社(記事未作成)へは当社から勧請されたとして、「元春日」と称されます。藤原氏の繁栄とともに正一位勲三等の極位に達するなど、神階や社格等において悉く最高位を授かっています。
◎創建に関しては社伝(主に「元要記」)によると、神武天皇即位前三年に天種子命が勅を奉じ秀麗な山嶺の平夷に社殿を創建したとあり、当初は「平岡」という社名であったと。
天種子命とは神武東征時の家臣で中臣氏の遠祖。神武天皇が築紫国宇佐に立ち寄った際に、出迎えた菟狭津彦の妹神である菟狭津媛と結ばれています。菟狭津彦菟狭国造(宇佐国造)の祖。これは平定神話なのかもしれません。
「秀麗な山嶺」とは現在本宮が鎮座する「神津嶽」のこと。石製小祠が鎮座するのみで磐座等はありません。既に失われたのかも(過去の登拝写真が見つかり次第、追加修正します)。
そもそも即位前に「勅」という語を用いること自体に問題があり、またこの時代に社殿が設けられることなどあろうはずはなく、過大表現であろうと思います。
◎神護景雲二年(758年)春日大社が創建されますが、当社から二柱の神が遷座されています。もちろん天児屋根命と比売御神。天種子命の遠祖と宇佐の遠祖(比売御神については諸説あり)。宝亀九年(778年)には、春日大社より経津主命と武甕槌命を勧請したとしています。
以上から見えるのは、当初は二座であったものが、春日大社が春日四神として四座にて創建されたことにより、当社も四座としたのであろうかと。
◎これに対して経津主命を香取神宮より、武甕槌命を鹿島神宮より勧請してきたとするのは「大阪府誌」。これについては結局のところ判然とせず、また当社と春日大社の確執もあるとか。また春日大社創建に当たり、当社の地形に似ている地を選んだという説も。
なお藤原氏とともに繁栄した当社ですが、藤原氏の当社への参詣はなかったと伝えられています。
◎当社を奉斎した氏族は平岡連であろうと考えられます。「新撰姓氏録」に「平岡連 津速魂命十四世孫鯛身臣之後也」とあり、津速魂命は天児屋根命の祖祖父、鯛身臣からは平岡連と中臣束連が裔とされます。

※写真は2017年11月2019年11月のものが混在しています。








天児屋根命の御子神 天押雲根命を祀る若宮社

「出雲井」。旧神殿にあったが地震により水が噴出し神殿を浸してしまったので埋めたとされています。「旧神殿」がどこを指すのか不明。

神津嶽山頂の「本宮」へは30分程度。現在は「枚岡梅林ルート」からの登拝は不可。