(速石別尊を祀る伊賀国の大村神社)





◆ 丹後の原像
【65.「丹後史料叢書」 ~「丹後舊事記」 10】





体調が芳しくないことなどが原因で
あまり参拝ができておらず、
記事を上げられる神社が枯渇しています。

これを機に進めておきたいテーマ記事に、
どんどんと取り掛かります。

また7日間限定で、1日1記事に抑えて、
急場を凌いでいこうと思います。


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【読み下し文】
一、速石別尊
日本舊事記 垂仁天皇第四の妃 薊瓊入姫の御子 速石別尊といふ 五十建の連石別尊


【大意】
「先代旧事本紀」に垂仁天皇第四妃である薊瓊入姫の御子を速石別尊というとあります。兄は五十速石別尊。



【補足】
速石別尊は紀では「池速別命」、記では「伊許婆夜和気命」、「新撰姓氏録」など主に「息速別命」と称されます。
阿保氏の祖神であり伊賀国を拠点とし、大村神社等で祀られています。

垂仁天皇の周辺は鉄に関わる人物(神)が多いとするのは谷川健一氏。伊賀国という鉄が多く採れる地を拠点とし、また「阿保」は銅と深く関わる「青」に通ずるとも。
速石別尊は片目であったという伝承もあり、また病弱であったとされますが、水銀中毒であった可能性も考えられます。

◎「五十建の連石別尊」と記されていますが、おそらく「五十速石別尊」のことと思われます。


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【読み下し文】
一、五十日足彦尊 成務天皇
順國志に余社郡板列の庄速石の里より貢奉る 風土記に曰く 丹波國與佐郡 艮の方に速石の里あり 里中に長き大きし崎あり 長二千二百廿九丈 闊さ九丈二尺餘 是れを天橋立と名付る 速石の里は今の府中江尻村也


【大意】
一、五十日足彦尊(成務天皇)
「順国志」に曰く、與謝郡「板列庄(いたなみのしょう)速石里」より入貢がありました。「丹後国風土記」に曰く、丹波国(丹後国が分割独立する前)與謝郡の艮(北東)の方に「速石里」があります。里中には長大な岬があり、長さは二千二百二十九丈、広さ九丈二尺余り。これを天橋立と名付けました。「速石里」は今の「府中江尻村」です。


【補足】

◎五十日足彦尊(成務天皇)と題していますが、その在位期間中のことを記しているだけのようです。

◎「板列庄」は板列神社板列八幡神社が鎮座していることから、おおよその場所は分かります。與謝郡の「艮」(北東)としていますが、真逆の南西部ですね…間違えてる?或いは現在の「与謝野町」を指しているのか。そうすると北東端となります。いずれにしても間違えてるのか。

◎「速石里」は「府中江尻村」とあることから(昭和二年刊行)、「天橋立」の終点の現在の「江尻」、その少し先の「府中」ということが分かります。「笠松展望台」へ向かうケーブルカーの始発駅は「府中駅」。

「天橋立」の大きさが記されています。
「順国志」は細川忠興が編纂したもの。丹後国城主であったのは、天正八年(1580年)~慶長五年(1600年)。その間に編纂されたと思われ、およそ今から400年前のこと。

一丈を3mと単純計算して…
長さ6,700m、広さ28m。
現在は…
長さ3,650m、広さ25m(最大幅)。

あれ?どこからどこまでをカウントした?
どうやら「二千二百廿九丈」ではなく、「千二百廿九丈」の間違いのようですね。




少々短く刻みましたが、
今回はここまで。