☆ 「月の輪田」・「清水戸」
(つきのわでん・せいすいど)



丹後国丹波郡
京都府京丹後市峰山町二箇・苗代
(いつも道端に寄せて停め置きしています)



神代に保食神(=豊宇賀能売命、豊受大神)が初めて稲を作ったという伝承地。

*「月の輪田」 … 峰山町「二箇」
*「清水戸」 … 峰山町「苗代(なえしろ)」
両地の距離はおよそ300m。

西隣の峰山町「久次(ひさつぎ)」には、天女(豊受大神)が降ったという「久次岳」、麓に「比治真名井」の比定地である比沼麻奈爲神社が鎮座。

南隣の峰山町「鱒留(ますどめ)」には、こちらも天女が降ったという「磯砂山(いさなごやま)」、麓に「比治真名井」の候補地の一つ藤社神社が鎮座。

また峰山町「苗代」にはかつて、「久次岳」山頂に鎮座していたという咋岡神社が一時遷座されていました。

北隣の峰山町「安」には稲代神社が鎮座します。


◎「月の輪田」
峰山町「二箇」の三日月型の小さな田が「月の輪田」(「三日月田」とも)。一帯の田地の中の一角。

「丹後舊事記」などに、豊受大神が天照大神のために籾種を蒔いて稲作をした場所と記されています。

「丹後国式内神社考」の記述は以下の通り。
━━古老ノ傳ニ此地ハ神代ニ始メテ苗ヲ作リシ地ナリトテ今ニ三ケ月田トモ云テ三畝歩許ノ地田圃ノ中ニ在テ垣ヲメグラシ置ケリ━━

「稲作発祥地」と謳うのは全国にあるでしょうし、九州のどこかとするのが本来は妥当かと。ところが豊受大神が鎮まる丹後の地でとなると、やはりこれは特別なもの。

「天照大神のために…」というのは外宮に遷座されて以降の後付けかと思われますが、丹後で稲作が始まった地として特別視されていたのかもしれません。

かつてはもう少し東にあったが耕地整理で移設されたとのこと。また女人禁制で、雑草すら抜いてはいけなかったようです。

◎「清水戸」
峰山町「苗代(なえしろ)」の小さな池が「清水戸」。

籾を浸して苗を作ったとされる池。
かつてはこんこんと水が涌き出ていたが、横に防火水槽を作った影響で現在はあまり出なく、なったようです。

以下のような句も伝わっています。
━━いざなぎや 種を浸する 清水戸
五穀始まる これぞ苗代━━

「いざなぎ」とは「磯砂山」のこと。

◎「丹後国」は和銅六年(713年)に「丹波国」から分離独立した国。その「丹波」の由来について「丹後國風土記」殘缺は以下のように記しています。

━━丹波と以て號く所は往昔 當國の伊去奈子嶽に天降りし豊宇氣大神が坐すの時 天道日女命等が求める大神の五穀及び桑蠶の種を請う矣 便(ついで)其の嶽に於ひて眞名井を掘り其の水を灌ぎ(そそぎ) 以て水田陸田を定め 而して悉く植へし秋に垂れし穎ハ握漠々たる然し快し也 大神之を見して大いに歡喜び あなにえし而して植え彌の子田庭 然る後に復た大神は高天原に登る焉 故に田庭と云ふ也━━

「丹波(タニハ)」の由来は「田庭」から。
当史跡はその発祥地であり、またその象徴であろうと思います。






以下「清水戸」。車は10~20mほど南側に停め置きました。

ほとんど水が出ていません。


右→「久次岳」、左→「磯砂山」




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。