稲代神社・吉原神社( (京丹後市峰山町安)


丹後国丹波郡
京都府京丹後市峰山町安小字森替83
(境内に停められるが、運転初心者は困難)

■延喜式神名帳
稻代神社の比定社

■祭神
保食神
豊受皇大神 稲荷大明神


「竹野川」支流、「小西川」沿い谷地の丘陵斜面に鎮座する社。地名の「安(やす、旧 安村)」は洪水等でできた砂州、近江国の「野洲」と同様、これに由来するものかと思われます。
◎社名「稲代神社・吉原神社」とは、「稲代神社」に天正年間(1573~1592年)に祇園牛頭天王を合祀、明治二年に「吉原神社」に改称したもの。扁額にも両社が併記。登記は「稲代神社」でなされています。
◎稲代神社はかつて、当地より西三町の「稲代山」に鎮座していたのを、元禄十二年(1699年)に遷座したとのこと。理由は「参拝道が険難のた為」であったからと。
ところが西方三町(約340m)には山裾しか見当たりません。また南西という資料があるものの、そちらも同様。北西1kmほどに2ヶ所、南方300m余りに山頂が存在。そのいずれかになるのか、或いは旧社地は山頂ではなく中腹であったということなのか分かりかねます。
◎社名通りに稲魂を祀る社とみてよいかと思います。「丹波九座一神」と言われるように、丹波郡の式内社九座はすべて同じ神。豊受皇大神、豊宇賀能売命、稲知大明神、稲倉持命、保食神、稲仕老、稲荷大明神、豊宇気持命、大気津比女命などと表記は異なるものの、同一神であるとされます。
◎「丹哥府志」や「峯山旧記」は、丹波道主命の孫である稲別命が「吉佐の吉原」にいたとされることから、この神を祀ったのではないかとしています。これは稲別命が祀られたのではなく、稲別命が豊受皇大神を祀ったのであると考えます。
◎天正年間に合祀したという牛頭天王社(現在の吉原神社)は、竹野郡木津ノ庄鎮座の売布神社から勧請されたとする説が有力。売布神社では天正四年(1576年)に、丹波郡吉原ノ庄の稲代神社に分霊を請われて遷したとしています。

◎ご祭神に見える「稲荷大明神」も豊宇賀能売命
と同神と見られます。「丹後国式内神社考」も、━━古老ノ傳ニ此地ハ神代ニ始メテ苗ヲ作リシ地ナリトテ今ニ三ケ月田トモ云テ三畝歩許ノ地田圃ノ中ニ在テ垣ヲメグラシ置ケリト吉岡氏云ヘリ━━としています。
「三ケ月田」とは「月の輪田」とも称される地。当地より山を隔てた2kmほど南方。ここで神代に初めて稲作が行われたと伝承される地であると。


この車一台ギリギリのスペースを登ってこねばなりません。運転初心者にはやや厳しいかも。







境内社




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