八幡神社 (岩戸八幡神社 、岐阜市長森岩戸)


美濃国厚見郡
岐阜市森岩戸942-1
(P有)

■延喜式神名帳
物部神社の論社

■祭神
應神天皇


岐阜市のシンボルとも言える「金華山」の南東裾部に鎮座する社。
◎創建は明治三十四年と新しい社。「揖斐川」下流の海津郡高須町に鎮座していた八幡神社が、度重なる風水害のため河川改修のため村ごと永没。当地に移住し創建に至ったというもの。
◎当社は式内社 物部神社の論社に挙げられています。根拠と出処ともに不明。比定される社は無く、伊奈波神社伊奈波神社に合祀されたという物部神社、そして当社と岩戸観音寺が論社として挙がります。
◎北50m足らずに岩戸神社が鎮座します(後ほど記事UPします)。こちらは巨大な岩盤を削り、その上にご本殿が建てられた社。
さらに北方200mにはさらに巨大な露出岩盤を信仰の対象としていたという、岩戸弘法弘峰寺という仏教施設があります(未見学)。その50mほど北東に岩窟祭祀跡とされる岩戸観音寺という施設があります(未見学)。
この周辺は岩盤の宝庫であるらしく、一帯が霊地として古代より信仰の対象となっていたものと思われます。そこへ仏教施設が侵食し横領したものであろうと。そして周辺一帯をもって物部神社の旧社地ではないかと考えます。
◎想像を膨らませるのなら、当地一帯を神域とした物部神社が衰微し、伊奈波神社の現社地へと遷座。そこへ「金華山」中腹に鎮座していた伊奈波神社が遷座され物部神社を合祀したのではないかと。
◎式内社 物部神社は祖神である物部十千根を祀っていたものと思われます。五十瓊敷入彦命(伊奈波神社のご祭神)が垂仁天皇の御代、太刀一千口を石上神宮へ奉納。老齢のためその管理を妹の大中姫に依頼するも手弱女であるからと辞退。結局その管掌は物部十千根に委ねられ、これが石上神宮の創建譚となっています。


駐車場と背後に見えるのが「金華山」。

「金華山」を正面から。典型的な「神奈備山」型。



自然石で作られた神橋。

明治末期に創建された社にしては古社然の雰囲気があります。神社跡として残っていたものを利用したのではないかとも思います。



境内社