葦神社 (伊賀市上阿波)


伊賀国山田郡
三重県伊賀市上阿波2665
(P有)

■延喜式神名帳
葦神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
大国主神
事代主神
市杵島姫命
田心姫神
湍津姫命
少名毘古那命
布津御魂神
神功皇后
[合祀] 日本武尊 火産霊神 伊古那姫命 猿田毘古神 伊邪那岐神 健速須佐之男神 菅原道真 地主神 帯中日子神 品陀和気命 高良玉垂命 大雀命 宇迦能御魂命 大日霊貴尊 奥津日古神 天穂日命


伊賀市南東部、「木津川」支流の「服部川」北岸畔、「上阿波」に鎮座する社。背後は「竜王嶽」。川沿いの谷地であり、四方は深い山々に覆われています。
◎「神社明細帳」には、━━人皇七代考霊天皇甲子の歳(即位三年)勢賀両国(伊勢国と伊賀国)の境黒岩峰に鎮座し給ひ勢州三船の明神と相殿に座ししがその後二〇〇余年を経て両国へ降臨し鮫が原三女垣内に鎮まり給ひ粟皇淡護明神と申し奉る━━とあるようです。
「黒岩峰」は不明、他資料によると東方5kmほどにあり標高は655mであるとか。国境にあるということなので、現在の「経ヶ峰」(標高819m)周辺の山を指すのではないかと思います。
◎これによると原始は、伊勢国の三船明神と相殿として鎮座していたとのこと。三船明神については不明。「三船」明神とは「御船」明神のことでしょうか。伊勢国度会郡に鎮座する皇大神宮摂社 御船神社は大神御蔭川神を祀りますが、この神は天照大神の神魂を納める御船代のこと。一説には天照大神として記紀編纂時に構築されるシステムの、その前身の姿であるとも。
それが200余年後(社伝では垂仁天皇三十三年)、両国へ別れて遷座。当国へは「鮫が原三女垣内」に「粟皇淡護明神」として鎮まったと。地名「上阿波」はこの「粟」由来のようです。
◎続いて社伝においては、━━神功皇后三韓征伐の後、高良命(武内宿禰か)が勅命により、宮を三所に分け大国主神・事代主神を芦谷へ葦神社として祀り、天日方命奇日方命を別府宮として祀り、市杵嶋姫命・田心姫神・湍津姫命を粟皇神として三女垣内に祀った━━と。
◎「神社明細帳」にはその続きとして、━━承平七酉年(937年)地大に震い(地震に遭い)三所共建物凡て損傷せり 故に天慶三年(940年)今の宮地へ宮柱太敷立て三所の神霊を合祀して葦神社七王子淡護大明神と復旧━━と。
承平七年の地震とは、富士山の大噴火に伴うものでしょうか。天慶三年に「葦神社七王子淡護大明神」として復旧したとありますが、これは「大国主神・事代主神・天日方命奇日方命・市杵嶋姫命・田心姫神・湍津姫命」の「七王子」ということかと思われます。そもそも「天日方命奇日方命」は天日方奇日方命で一柱なのですが。
そして明治には村社に列格、現社名「葦神社」と改称したようです。
◎個人的な解釈としては「葦」は「穴師」からの転訛の可能性を考えています。つまり金属精錬に携わる部族が奉斎していた社ではないかと。