御船神社・牟弥乃神社
(みふねじんじゃ・むみのじんじゃ)


伊勢国度会郡
三重県多気郡多気町土羽字南出505
(P無し、社前道路の参道西すぐに路駐か)

■延喜式神名帳
大神乃御船神社の比定社

[御船神社] 皇大神宮摂社27社中の第24位
[牟弥乃神社] 皇大神宮末社16社中の第16位

■祭神
[御船神社] 大神御蔭川神
[牟弥乃神社] 寒川比古命 寒川比売命


「外城田川」沿いの小高い丘に鎮座する社。
◎「土羽(とば)」と呼ばれる地にあり、これは倭姫命が「外城田川」を遡上していた時に、船を停めた「止場」を語源とすると考えられています。おそらくここから川幅が狭くなり、倭姫命が遡上することができなかったのではないかとされています。現にこのあとは陸路となっています。当社もその倭姫命が定めた社の一。
◎牟弥乃神社は所在不明となっていたので、御船神社に同座させたようです。こちらも倭姫命が定めた社。
◎御船神社のご祭神である大神御蔭川神は、天照大神の神魂を納める御船代が遷御後に当社に納められたとするのが有力でしょうか。これに対して筑紫申真氏は、天照大神の前身を川の中に生まれる「川のカミ」とし、「外城田川」や「五十鈴川」を「カミの御蔭(みあれ)する」川であるとしています。また荒木田氏の祖神に川姫という名が見え、それが「棚機つ女」であり「川のカミ」が「御蔭」するのを助けたとしています。これは氏の皇大神宮成立までの理論上の根幹を成すものの一つであり、また卓見に値するかと思います。
なおご祭神については「大神乃御船神」「天鳥船神」「鳥石楠船神」などという説も。
◎一方、牟弥乃神社の寒川比古・比売神は「外城田川」の守護神であると考えられ、倭姫命が川の水が冷たいと言ったことからとされているものの、これは「倭姫命世記」が編まれる際にこじつけで挿入されたものでしょうか。両神は当地一帯の水神である大水上命の御子神です。
◎相模国の名神大社で一の宮でもあった寒川神社のご祭神と神名は同じ、同神と考えられます。紀伊国の日高郡にも同名社があり、いずれも関連が考えられます。
◎なお当地は元々多気郡であったものが大化五年(649年)に度会郡に編入されています。