樟本神社 (八尾市木の本)


河内国志紀郡
大阪府八尾市木の本1-59
(P無し、近隣停め置き不可)

■延喜式神名帳
樟本神社 三座 鍬靫 の比定社

■祭神
布都大神


「大和川」の北側、八尾市の密集住宅地内「木の本」に鎮座する社。
◎当地はかつての「大和川」流路であった地。「淀川」へ流れ込んでいたものを、江戸時代に大阪湾に流れ込むように付け替えされました。物部守屋は蘇我馬子との宗教戦争に敗れたと記紀には記されますが、真相はこの「大和川」の水運覇権を巡っての争いであったという説も。蘇我氏の本貫地であり水運を掌握していた「石川」は、その「大和川」に流れ込んでいます。
◎当地「木の本」、北東100m余りに「南木の本」の樟本神社、北1km足らずに「北木の本」の樟本神社が鎮座しています。いずれも当村から分村し、それぞれに分霊したと伝わります。
◎当社は物部守屋ゆかりの社とされます。用明天皇即位二年七月の条には、以下の記述が見られます。
━━蘇我馬子宿禰大臣は周辺の者と謀り物部守屋大連を滅ぼそうとした。泊瀬部皇子(崇峻天皇)、竹田皇子、厩戸皇子、(以下略) 等は軍兵を率いて志紀郡から渋川の守屋の家に到った。守屋は自らの軍を率い稲城を築き戦った。衣摺の朴の枝の股に登り雨の如く矢を射った━━
◎これは蘇我氏と物部氏との宗教戦争から発展したとされるもの。社伝によると、当社はその戦のゆかりの地であるとのこと。上記に現れる地の推定地を以下に挙げておきます。
*守屋の家 → 澁川神社 (北東1.5kmほど)
*稲城 → 光蓮寺 (南東100mほど)
*衣摺 → 東大阪市衣摺か (北北西5km余り)
*その他参考記事 → 伝物部守屋墓・鏑矢塚

◎神名帳に見えるご祭神は三座。当社、そして分祀されたという2社いずれもご祭神は「布都大神」としています。社伝によると一座ずつ分祀されたとのこと。つまり石上神宮で祀られる「布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神」の三座のことと思われます。それぞれが分祀した神名は不明。
◎社頭案内には布都大神は「稲城(稲村城)」の守護神であったとしています。「河内名所図会」は「布都明神と称して物部守屋の霊を祀る」とし、「神社覈録」は「木霊」を祀るとしています。
社名通りに原始は「木霊」を祀っていたものが、神名帳編纂の頃までには「布都大神」に転じたものと考えます。







境内の樟はせいぜい300~400年程度のもの。往時のものとは異なります。



府道179号線(住吉八尾線)沿いに示される案内。