澁川神社 (八尾市植松町)
(しぶかわじんじゃ)


河内国渋川郡
大阪府八尾市植松町3-3
(P有)

■延喜式神名帳
(若江郡) 澁川神社 二座 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
天忍穂耳命
饒速日命
[合祀] 國狭槌尊 日高大神 菅原大神


八尾市街地「植松町」に広い境内を有し鎮座。河内物部氏が斎祀った社として天忍穂耳命・饒速日命の父子神(「先代旧事本紀」による)が祀られています。
◎かつては東隣の若江郡に鎮座、天文二年(1533年)の「大和川」洪水で流失、現在の渋川郡に遷座再建されています。「大和川」は長年の土砂堆積により天井川となっていたらしく、洪水が頻発。ついに大洪水に見舞われたようです。旧社地は現在の「安中小学校東南附近」と当社側は考えておられます。現社地より北東200m辺りでしょうか。
◎創建由緒については不明、大洪水で古記録、古文書等も流されたのであろうと思われます。当社案内には「天平勝宝八年(756年)、孝謙天皇より稲穀を賜る」としており、これは続紀に記される「河内国諸社の祝、禰宜ら百八十人に地位に応じ稲穀を賜った」(大意)とみえるものかと。孝謙天皇より寵愛を受けた道鏡が当地出身であり、重祚後に何度も行幸した「由義宮」も当地付近にありました(→ 由義神社)。
◎問題は主祭神二神が当初からの祭神であったのかどうか。これを示す資料は何も残っていないようです。当地が河内物部氏の本拠地であったことから宛てられた神名である可能性も。中世には「植松大明神」、江戸時代には「天神社」と称されていたようです。
◎ご本殿の真後ろに「竜王大神」なる境内社が巨樹とともに鎮座。この「竜」は何を指すのか。「大和川」に棲む竜神であったものか、あるいは旧社地に隣接していた「龍華寺」(現在は廃滅)に因むものか。こちらは物部氏が率いた渡来系職能集団が関連していると思われます。かつてはこの仏教施設の僧侶たちが当社祭祀を行っていたとか。

*写真は2019年11月と2023年3月撮影のものとが混在しています。








ご本殿真後ろの「竜王大神」。



樹齢千年の大楠。




「知恵の輪くぐり」だそうです。



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