☆ 葛城歴史博物館 春期企画展
「二上山麓を辿る道 ━葛城古道を辿る2━」




「葛城歴史博物館」に車を停め、角刺神社(ご祭神/飯豊青命)を拝するのが慣わし。

飯豊天皇(飯豊青皇女)は何かとご縁を授かっているので、年に数回は拝しておきたいところ。

そして雨降りだったり…酷暑だったり…すると
「葛城歴史博物館」になだれ込むのです。




そして開催されていたのが、ちょっと興味ある企画内容。
論述書も合わせて発行されているので入手しています。こちらは後ほど別記事にて。なるべく早めに…なるべく…。


この記事では、ほとんど展示物の紹介に終始します。





少し前に【「二上山」慕情】といったテーマ記事を、全12回に渡り上げました。

そちらでは古代ロマンを掻き立てることを主題に、浅く広く記事を上げていました。
より専門的な記事を上げる必要性も感じているのですが…。

いずれ第2弾をやるか…。




特に縄文時代以前の「二上山」についての知識が不足していることを痛感しています。

だからこちらの博物館や、太子町の「竹内街道歴史資料館」、香芝市の「二上山博物館」に頻繁に足を運んでいるのです。



サヌカイトが採れた北麓から、南側の竹内街道までの物流ルートを探らねばなりません。

遺跡の位置関係から、おそらくは東回りだろうと思いますが。




こちらは「二上山」の北側の遺跡等。





「竹内遺跡」は国道165号線を大阪側から下ってきた、下り坂の終点辺り。

最後の急カーブを曲がりきったところから、角地にファミマのある「竹内交差点」までの一帯。

あやしげな新興宗教が建てた施設もあります。

そもそもこの遺跡に入ることはできるのかな?
歩道が無く、交通量は多く、坂道なのでスピード出しまくりの道を歩くのは非常に危険。



「配石遺構」などと言う言葉の使い方を初めて知る。そもそも縄文時代の勉強不足が甚だしいか…。







竹内遺跡の中に竹内古墳群があります。

未見学です。
通勤経路上なのに…。


「首子遺跡」はその北側、当麻寺とさらにその北の石光寺のちょうど中間辺りの遺跡のようです。こちらも未見学。

いつも當麻山口神社へ向かう際に、山麓線(県道30号線)から登っていく途上。





「太田古墳群」はかなり南方となります。

「二上山」というよりは「岩橋山」東麓。

断片的に3基?4基?ほど見学したのみ。
全50基などと言われていますが。




ちなみに「鹿谷寺跡」近くから銅鐸が発見されています。




この絵地図で言うと…

「二上山」に関わるのは「田尻越」と「関屋越」。
その左下の山は「明神山」





今後の記事作りに使えそうなものがあったので載せておきます。