☆ 葛城歴史博物館



訪れるのは三度目。

前回の記事は消してしまったのか、確か2018年の夏のこと。酷暑で逃げるようにして飛び込んだ記憶が…。

初めてのはほとんど記憶無し。



この博物館はとりわけ、
古墳へのアプローチに対して重点が置かれているように思います。

まだまだ古墳は浅学ですが
見学数をかなり増やしたため、ちょっとはレベルアップしたように思っています。

偉そうなことを言えるレベルには程遠いですが…。


さらにレベルを上げたいのと
「二上山」の資料を手に入れるため。

香芝市の二上博物館の方が詳しいですが、
多少異なる視点から見ることができます。






ついこの前まで「北葛城郡新庄町」だったのが
「葛城市」に。


ここで県外の方に
ごくごく簡単に「葛城市」の紹介を。

◎奈良県中部の西方、大和盆地の南西部に位置します。

◎奈良県は南部のおよそ3/5が吉野の山々、北部の2/5のうちの盆地のみが生活圏。
つまり奈良県のほとんどが、野生鹿や猪たちの生活圏、人が住むところはわずか。

◎「葛城市」の西端は大阪府との県境。
北から「二上山」と「岩橋山」、そして「大和葛城山」の一部。

◎「二上山」で旧石器時代からの生活が確認されており、「岩橋山」で縄文または弥生時代からの信仰が確認されており(「岩橋山」磐座群の記事参照)、


入館して最初に目に飛び込んで来るのが
冒頭写真の「家形石棺」。






古墳素人が余計なことを書くと

間違った情報を入れそうなので
案内板に頼ります。

まだ見学できていない古墳ですし。






いよいよ展示室へ。

万葉歌四首が掲げられています。
(訳が欲しい…)


「葛城」と言えば「葛城氏」
「葛城氏」と言えば「葛城襲津彦」でしょう!

伝説上の人物(神)という説もありますが
当ブログでは実在人物(神)として一貫させています。

(あくまでも便宜上です)






旧石器時代の出土物に関しては
「二上山」からのみ。


縄文時代のものは葛城市を含めあらゆる地域から発見されていますが、

なかでも大和で最先端だったのは
「狐井」地区。

二上山博物館にて知りましたが
またおさらいに行かねば!






その他いっぱい写真を撮っていますが
その一部のみを。

追々記事中で使っていくことになると思います。






やはり葛城氏は軍事氏族だとあらためて。






葛城地方の古墳は
まだまだ見学できてないな…。

蛇が活動する前に行かねば…。






鰭付円筒埴輪はいつの頃やったっけ?

ネットで調べて4世紀前半~5世紀初頭と。

この程度の状態です。


はぁ…。






家型石棺と長持型石棺の違いが
いまいち分からない。

あらためて不勉強を痛感!






渡来人ということは
少なくとも一度は船に乗って来たはず。

葛城襲津彦は何度も朝鮮半島を往復。

父の武内宿禰は神功皇后とともに
三韓征伐や熊襲征伐へ。


船との縁は強い氏族。






館内にはこんなものまで。

お金持ちの家やな…。




この日はとにかく写真の撮り溜めに集中。
まだ自分の中に落とし込みができていません。

すぐ後に2週続けて巡拝旅行してるし。

博物館で2冊も本を買ったけど
それを読みながらかな…。


もうちょっとバージョンアップした記事をリリースできるよう、
しっかり勉強したいと思います!




葛城市歴史博物館

奈良県葛城市忍海250-1
0745-64-1414
観覧料200円

*その他詳細はサイトにて → こちら