吉葛神社 (南宮大社 境外末社)
(よさつらじんじゃ)
■祭神
天吉葛神
南宮大社の境外末社。朱の大鳥居の側に鎮座しています。
◎創建由緒等に関しての資料は見当たらず不明。明治天皇が当地行幸の際に南宮大社に立ち寄り、当社にて衣装替えをされたとか。それが故で「いそど(衣装堂)さん」と親しまれているとのこと。これ以外の情報は無し。
◎天吉葛神は紀の一書のみに記される神。伊弉諾尊と伊弉冉尊とによる神生みの第五段。
━━ 一書に曰く伊弉冉尊は火産靈を生む時、神退った(薨去した)。その時に水神 罔象女と土神 埴山姫を生む。また天吉葛を生む。天吉葛は阿摩能與佐圖羅(アマノヨサヅラ)と訓む、さらに與曾豆羅(ヨソヅラ)とも云う━━(大意)
◎別の一書には以下の通りに。
最初の一書の天吉葛のところに、代わりに稚産靈が入っています。
◎記の同様の箇所においては以下の通り。
━━多具理(嘔吐物)から金山毘古神と金山毘賣神が生まれた。屎(くそ)から波邇夜須毘古神と波邇夜須毘賣神が成った。尿(ゆまり)から彌都波能賣神と和久產巢日神が成った。和久產巢日神の子は豐宇氣毘賣神━━(大意)
この時まだ伊邪那美神は、病に伏した状態ではあるものの存命中。
◎以上を整理するなら、天吉葛と稚産靈(和久產巢日神)とは同神ということになります。そしてその子は豊受大神。
こちらでは「匏(ひさご)」が一つの鍵となっていますが、「吉葛」と「匏」とは同じものを意味するのではないかという思いも。
◎南宮大社を奉斎していた氏族は伊福部氏。歴史の最中に尾張氏の系譜に組み込まれていったものと思われます。一方で豊受大神を奉斎していたのは丹後の海部氏。尾張氏は丹後の海部氏と同祖(天火明命)、尾張氏が丹後の当主であったとみられる時代があったりもします。当社はこれら繋がりを示唆するものではないかと考えています。