長彦神社


美濃国多藝郡
岐阜県大垣市上石津町一之瀬2288-1
(P有)

■祭神


「揖斐川」支流の「牧田川」上流沿いに鎮座する社。「養老山地」と「梵天山」とに挟まれた谷地。
◎創建由緒等に関して岐阜県神社庁は以下の通り表しています。
━━考ふるに、白鳳四年美濃王(壬申役に天武天皇に徴されて功ありし人、当國居住、橘諸兄公の父にして和銅四年歿)及び佐伯連廣足が勅命を奉ぜし縁故を以て其の後龍田の風神を当國牧田川の上流たる本村に祀り、長彦神社と称し、更に其の鎮座の地を倭に倣ひ立野と呼び、同時に廣瀬を同川の下流多岐村に祀りたるならむ。今現に当郡多芸村に式内多岐神社(祭神廣瀬大忌神)あり。是彼の大和の龍田廣瀬の地に擬し風神を上流に大忌神を下流に祀り、暴風の災なく、禾稼の豊饒を祈りしものと水量さる。和名類聚抄に美濃國多藝郡の御名中「立野」あり、此の立野たるや、一之瀬村の古名にして慶長十四年美濃國石津郡一之瀬村御縄打水帳には長彦神社近接の字名を「たつの」と記し、現在付近の田を「たつの田」と称す━━
◎これは天武天皇四年(675年)、「風神を竜田の立野に大忌神を廣瀬の河曲に祀らせた」というのに関連するもの。「竜田の立野の風神」とは龍田大社のこと、「廣瀬の河曲の大忌神」とは廣瀬大社(廣瀬神社)のこと(「龍田の風神」と「廣瀬の大忌神」の記事参照)。
この時に龍田大社へ勅で派遣されたのが、美濃王と佐伯連廣足。美濃王は当国に居住していたこともあり、勧請してきたようです。
そして多岐郡に鎮座し大物忌神を祀る多岐神社(後ほど記事UPします)とともに、大和国の龍田大社廣瀬大社(廣瀬神社)を擬したようです。
◎美濃国三ノ宮とも謳われ式内社である多岐神社とは異なり、式外社ではあるものの、「三代実録」や「類聚国史」などに表される国史顕在社。従四位上の神階を授かっています。


駐車場は境内東側に。

左奥の山が「養老山地」でしょうか。




境内社

社前を流れる「牧田川」を。