熊野速玉大社 御旅所 (附 「乙基河原」)


紀伊国牟婁郡
和歌山県新宮市新宮
(アクセス・駐車は下部写真参照)

■祭神
熊野権現


熊野速玉大社の御旅所。「熊野川」の河口2kmほど上流、熊野速玉大社のご本殿の西方500mほどの位置。ユネスコ世界遺産に指定されたのは熊野速玉大社、「権現山(神倉山)」、御船島、御旅所を含んでのもの。
◎現地は60~70cmほど高台となっており、「熊野川」に向かって三方が石垣組みされています。その「熊野川」との間は幅150~200mほどの河原に。「乙基河原(おともがわら)」と称されます。またその先には、川中に御船島があります
◎当地は熊野大神の降臨、遷座歴を紐解く上で大変に重要な地。熊野大神とは「早玉大神(伊邪那岐大神)」・「結大神(伊邪那美命)」・「家津美御子大神(素戔嗚尊)」の三柱のこと。諸説あるうちの一つを。
◎熊野大神はまず最初に「神倉山」に降臨、次いで阿須賀神社の「蓬莱山(阿須賀の森)」へ。三柱のうち家津美御子大神は「石淵谷(貴禰谷神社)」へ、結早玉大神(結大神と早玉大神)はそのまま留まったと。崇神天皇の御代には家津美御子大神は熊野本宮大社へ、景行天皇の御代には結早玉大神は熊野速玉大社へと遷ったとされます。
◎その結早玉大神の二柱が阿須賀神社から熊野速玉大社へ遷る際の細部を表すのが例大祭「熊野速玉祭」であろうと。
◎毎年10月15~16日の2日間(14日にも神事がある)に渡り行われます。まず早玉大神に関わるのが15日の「神馬渡御式」。阿須賀神社にて神霊を迎えて乗せた神馬が熊野速玉大社に戻り、神霊を第二殿に移し神事が執り行われます。続いて再び神馬に神霊を迎え御旅所へ向かいます。こちらには「杉ノ仮宮」が設けられており、そこで神事が執り行われます。
次に結大神に関わるのが16日の「御船祭」。熊野速玉大社の第一殿にて神事が執り行われた後に、神霊を乗せた御輿が「熊野川」に向かい、神霊を「御幸船」へ移します。河口の「鵜殿(うどの)」から出発し、御船島を周回します。全9艘のうち「御幸船と斎主船」は「乙基河原」へ。御旅所にて神事が執り行われた後に熊野速玉大社の第二殿へ帰還します。
◎早玉大神と結大神とでは行程が異なります。この祭が熊野大神の降臨・遷座の歴史の事実を表しているとすれば、上述の歴史とは異なり結大神は「石淵谷(貴禰谷神社)」から熊野速玉大社へ遷座したとみられます。
◎当地からは縄文時代の遺跡が発見されています。周辺の縄文時代の遺跡は3箇所、「速玉大社御旅所遺跡」「速玉大社境内遺跡」「新宮城下町遺跡」。この時代からの信仰があったと思われますが、「神倉山」阿須賀神社からは弥生時代の遺跡が発見されています。漠然とした地主神から熊野大神というはっきりとしたものに変わったのは弥生以降とみるべきなのでしょうか。

*「熊野速玉祭」については熊野速玉大社のサイトやWiki等を参考にしました。


「相筋」集落の最奥地に車を停め置きました。


「権現山(千穂ヶ峯)」への登拝道もあるようです。

御船島は「熊野川」の左上隅の小島。

河原方面へ下ります。

20mほどでこちらに。「乙基河原」が広がります。







祭祀跡のようです。