鴨神社 (赤大路鴨神社)


摂津国島下郡
大阪府高槻市赤大路町42-3
(P無し)(家電量販店など商業地が多い国道171号線から北へ200mほど)

■延喜式神名帳
島下郡 三島鴨神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
伊弉諾尊
伊弉冉尊
鴨御祖大神


「安威川」と「淀川」の支流「芥川」のそのまた支流「女瀬川」の間の平地、高槻市「赤大路町」に鎮座する社。「安威川」まではkm近く、「女瀬川」までは2km近く離れています。
◎当社サイトに見える創建由緒等に関して、以下のように記しています。
━━赤大路町の『鴨神社』を創建したのは私たちのご先祖である鴨氏族(以下、通称 「鴨族」と記します)です。その鴨族の先住民族は、紀元 前後に奈良県の葛城山にある高鴨神社を祀った鴨族でした。その一族が我が摂津国嶋下郡方面へ勢力を伸ばしてきたのです。その時期はいつでしょうか…。鴨族が神武天皇とともに卑弥呼を打倒した、少なくとも3世紀中期より前だと思われます。その当時の関西を鳥瞰しますと、今の大阪城がある位置は上町台地と言われる高台であって、その西側 はすぐ海だったのです。その西側 はすぐ海だったのです。その内陸部に5世紀頃までは 大きな河内湖があって、その湖は奈良から旧大和川を 始め、桂川、木津川、芥川、安威川、が注ぐ淀川とも連なり、その川の流れに沿って葛城の鴨族が、あるいは朝鮮半島から渡来した鴨族が直接、赤大路へ勢力を伸ばし、鴨林を拠点に拡大し始めたと思われます━━
◎少々飛躍し過ぎた内容を含むために信憑性の乏しいものとなっていますが。
まず鴨族について、当社の鴨族と葛城の鴨族とは異なると考えます。当社の鴨族とは賀茂建角身命(八咫烏)を始祖とする鴨族。一方、葛城の鴨族は事代主神を始祖とする鴨族。
◎一般に賀茂建角身命を始祖とする鴨族は、葛城地方から山城国相楽郡に至り(岡田鴨神社の記事参照)、そして葛野郡の賀茂御祖神社(下鴨神社)へと移ったとされます。
「山背国風土記」逸文に、「(賀茂建角身命が)神倭石余比古(神武天皇のこと)の御前に立ちまして大倭の葛木山の峯に宿りまし 彼より漸に遷りて 山代国の岡田の賀茂に至りたまひ 山代河の隨に下りまして 葛野河と賀茂河との会ふ所に至りまし」と。
「大倭の葛木山の峯」とは「高天山(金剛山)」或いは「大和葛城山」を指すのだろうと思います。つまり高鴨神社のこと。「山代国の岡田の賀茂」が岡田鴨神社、「葛野河と賀茂河との会ふ所」が賀茂御祖神社(下鴨神社)であろうと。
これに対しては「大倭の葛木山の峯」が間違いであり、「宇陀県」ではないかと考えています(ここでは詳述しません)。以降の推移はその通りなのであろうと。
一方の葛城の鴨族の方は、後裔たちが鉄を求め全国各地へ転々と広がるも、高鴨神社が総氏神であり続けたと考えています。
◎当地に賀茂建角身命を始祖とする鴨族が進出したのは、岡田鴨神社から賀茂御祖神社(下鴨神社)へ拠点移すその流れの中で起こったことではないのかという考えも。一族の一部が当地に流れたのではないかと。そうすると当社サイトが言う「少なくとも3世紀中期より前」より後の時代ではないかと思います。
◎以上の鴨族の当社への関わりとは別に、三島県主が関わります。当地一帯を拠点とした氏族。「新撰姓氏録」には「右京 神別 天神 三島宿祢 神魂命十六世建日穂命之後也」とあります。三島県主は後に三嶋氏とも名乗り、また奈良時代には宿禰姓を賜っています。
◎賀茂建角身命を始祖とする鴨族は「鴨県主」と名乗っています。そして始祖は神魂命。三島県主も始祖は神魂命。始祖を同じくする県主同士が当地にて共生していたものと考えます。
◎当社は「島下郡 式内社 三島鴨神社」の論社に挙げられています。もう一つの論社は島上郡に鎮座する三島鴨神社。由緒から妥当かと思われるのがそちらで、鎮座地「島下郡」から妥当かと思われるのが当社。決め手が無いようです。


周りの住宅に圧倒されたような様子で鎮座。



大阪府内の神社に多い、消防法の基準に合致した近代的な建物。