隼神社 (角振明神)
(はやぶさじんじゃ・つのふりみょうじん)


大和国添上郡
奈良市角振新屋町44
(P無し)

■祭神



奈良市の目抜通り「三条通」の脇に鎮座する社。小さな社ながら重要な由緒を抱えており、当社が「中街道」の起点となっていると思われます。
◎別名は「角振明神(ツノフリミョウジン)」「角振隼明神」、また「椿本神社」とも。春日大社の境内末社に椿本神社があり、ご祭神は角振明神。
◎「大和志」(享保十九年、1734年)には「昔は春日山にあり、椿本の神祠という」とあるとのこと。これは上記椿本神社と混乱したものか、或いは史実なのか不明。当社はそちらから勧請されたと記されているようです。
春日大社はその椿本神社を「御本殿の北西に位置するこちらの御社は春日明神の御眷属の神様で、隼の明神とも申し上げ災難をお祓い下さる神様」としています。つまり春日大社ご本殿の鬼門を鎮護する神であったと。
◎これとは別に、第34代舒明天皇の御宇(629~641年)に茅渟王(チヌオウ、天皇の異母弟)に勅して現社地に祀ったという伝承も。ただしそれはその由緒は不明。
◎当社について江戸中期の「奈良坊目拙解」に、「角振神は火酢芹命の御子なり 隼神は父なり 父子二座を祀る 少祠なく柿の大木あり 神木と号す」とあるようです。この記述を信用するなら「火酢芹命=隼神」となります。
◎火酢芹命は紀において海幸彦として神話が載せられる神。子孫等系譜は記紀その他に示されておらず子の有無すら不明。
◎ところが当社ご祭神に表される神名「隼総別命」は、応神天皇皇子に同名が存在します。仁徳天皇が女鳥王を妃にしようと考え、使者とした隼別皇子女鳥王と密婚してしまう事件を起こしています(詳細は → 宇陀郡曽爾村「屏風岩」の記事にて)。こちらの皇子と混乱してしまっているのでしょうか。
春日大社はこの眷属神である角振神を「勇猛果敢な大宮の眷属神に坐し、天魔退散・攘災の神様」としており、強力な守護神と考えられていたことが窺えます。
平安初期には遷都とともに当社より平安京朱雀院に勧請されたようです(現在は椰神社の境内社)。神階は当初無位であったものの従四位に、神名帳においても式内大社に列格。また摂関家の邸宅に勧請されたりも。
これは御所にしばしば現れた異形の天狗を、角振神が悉く追い払い消滅させたという逸話が「多聞院日記」に記されます。篤く信仰された一端が窺えます。