◆ 「龍田の風神」と「廣瀬の大物忌神」 
(~2 「大忌祭」 前編)




前回の記事では、廣瀬大社(廣瀬神社)龍田大社の2社が国家にとっていかに重要なお社であったかを記しました。

それは二社のあらゆる格付けであったり、宮廷で行われる四季の定例祭(四時祭)全14祭のうちの2つであることから。

2つの祭とは
* 「大忌祭」 … 廣瀬大社(廣瀬神社)
* 「風神祭」 … 龍田大社


今回はそのうち「大忌祭」についてを。


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◎「大忌祭」

既に記しているように廣瀬大社(廣瀬神社)にて行われる神事。律令時代の宮廷の定例祭(四時祭)の一つ。

龍田大社の「風神祭」とともに、毎年四月四日と七月四日に同時に行われました。

天武天皇即位四年(675年)に「風神」を「竜田の立野」に、「大忌神」を「廣瀬の河曲」に祀ったのが起源。ともに平安末期まで毎年続けられました。

廣瀬大社(廣瀬神社)の鎮座地は、大和盆地中南部のあらゆる河川が一気に合流する地。「大忌神」というのが水神であることが推し量られます。


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ここで実際の紀の記述を。

━━天武天皇 即位四年四月十日、小紫(上から6番目の官位)の美濃王と小錦下(上から12番目の官位)の佐伯連広足を派遣し、風神を竜田の立野に祀らせました。小錦中(11番目の官位)の間人連大蓋(ハシヒトノムラジオオフタ)と大山中(14番目の官位)の曾彌連韓犬(ソネノムラジカライヌ)を派遣し、大忌神を廣瀬の河曲に祀らせました━━(大意)

天武天皇が中央集権国家を精力的に推し進めている中でのこと。特に前後の記述で関連するものは見受けられません。




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ざっくりと「大忌祭」についてを記し、紀の記述を上げてみました。以下あらゆる角度から触れてみたいと思います。



◎風水の観点から

陰陽道に通じていた天武天皇。風神・水神を祀ったということは風水を用いたのではないかと考えます。

風水については詳しくはないので少し調べてみました。二社はともに飛鳥のからは乾(北西)の位置にあたります。

* 天文 (乾 北西)
━━陰陽道では、怨霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)などの災いが出入りする方角であるとして、忌むべき方角としている。この天文を鎮めると、家運が永久に栄え、子孫が繁盛するとされる━━(Wikiより)

また平安京内裏には大将軍八神社が王城鎮護の目的で祀られるなど、この「天文」の位置に守護神を祀る事例が多く見られます。

二社は飛鳥の都からは10km以上は離れています。ですが特に龍田大社は河内国から大和への玄関口にあたり、ひいては当時緊迫していた朝鮮半島からの玄関口にもあたります。これは大阪湾から「大和川」を遡ってきたところのもの。「災いが出入りする方角」に祀ったといえるのではないかと思います。



◎稲霊を祀る

廣瀬大社(廣瀬神社)のご祭神は以下の通り。
[主祭神] 若宇加能売命(ワカウカノメノミコト)
[相殿神] 櫛玉命 穂雷命(ホノイカツチノミコト)

「延喜式神名帳」において当社は、「廣瀬坐和加宇加能賣命神社」と記されているためこれは疑いのないところ。

では「若宇加能売命」とはどういった神なのか。* 「若」 … 若い
* 「宇加」 … 稲霊
* 「能」 … 助詞の「の」
* 「賣」 … 女神を表す言葉
つまりは「若い稲霊に宿る女神」となります。

社伝によると、以下の神々と同神であるとしています。
* 豊受大神(豊宇氣大神) … 伊勢神宮 外宮に鎮まる神、丹後から招かれた
* 宇迦之御魂神 … 伏見稲荷大社に鎮まる大神
* 大物忌神 … 「鳥海山」に鎮まる神(後述します)

豊受大神と宇迦之御魂神はいずれも穀霊神。豊受大神と宇迦之御魂神と同神とすることには異説もありますが、当社では同神としています。



◎水神を祀る

鎮座地は「寺川」が合流した「大和川」に、「飛鳥川」と、「高田川」が合流した「曽我川」が一気に合流する地点。大和盆地の主流がここで一気に合流します。

「祈りの回廊」において樋口宮司は以下のように話されています。

━━当社は川の中州、砂地に建つと伝わり、今も地盤が砂で柔らかいため、あちこちで陥没し、建物もゆがみます。県の文化財でもある御本殿の大修理の際、ボーリング調査をしたところ、12メートルぐらい下まで掘って「安定した砂地」に当たると判明。「安定した岩盤」ではなく、深く続く砂地であり、古代からの言い伝えが事実であると証されました。実際、古代から境内地の周辺は水上交通の要所であり、明治時代までは船着き場もありました━━

稲霊神と水神とは不可分の関係。当社公式HPには、「豊かな稔りと成し給う水を司る神であり…」と記されています。



◎「大忌神」とは。

若宇加能売命は別名「廣瀬大忌神」ともされます。廣瀬の「大いに忌む神」。

「忌む/斎む」 … 「デジタル大辞泉」より
①(忌む) 呪術的な信仰などから、不吉なものとして避ける。禁忌とする。
②(斎む) 身を清め、慎んでけがれを避ける。

樋口宮司は「山や谷から下ってくる水は荒々しい水である。それを廣瀬の神様は受けて、良い水として大和平野に配る」としています。

これは「令義解」という書から引いたもの。「令義解」とは天長十年(833年)に編纂された、律令の解説書。淳和天皇の勅による官撰の注釈書。

「山々からザーっと流れてくる水を受けて穏やかな水にして流し、人々の暮らしを守ってくださる。それが廣瀬の水神信仰です」と付け加えておられます。

これが「大忌神」であると。

「大和志料」は、「特に潔斎し其の職を奉ずる(天照大神の御膳を掌る)を以て大忌神と称せらる」としています。この意味では外宮に鎮まる豊受大神ということになろうかと。



◎鳥海山大物忌神

━━鳥海山は古代のヤマト王権の支配圏の北辺にあることから、大物忌神は国家を守る神とされ、また、穢れを清める神ともされた。鳥海山は火山であり、鳥海山の噴火は大物忌神の怒りであると考えられ、噴火のたびにより高い神階が授けられた。
大物忌神は、倉稲魂命・豊受大神・大忌神・廣瀬神などと同神とされる。鳥海山大物忌神社の社伝では神宮外宮の豊受大神と同神としている。

鳥海月山両所宮では鳥海山の神として倉稲魂命を祀っている━━(Wikiより)




◎「廣瀬」の「忌み」

鳥海山大物忌神の「噴火は大物忌神の怒りである」ということから、やはり「大忌神(=大物忌神)」は「忌む」べきことを起こす神であることが分かります。その一方で「穢れを清める神」でもあると言えそうです。

「鳥海山」の「忌み」とは火山のことと考えられます。では「廣瀬」の「忌み」とは?

樋口宮司は「山や谷から下ってくる水は荒々しい水」としています。つまり「洪水」ということですね。

上述したように鎮座地は、大和盆地の河川が一気に合流し1本の「大和川」となる地。夥しい頻度で「洪水」が起こっていたことは想像に難くありません。

大和盆地の中心に近い位置でもあり、洪水の影響でその年の米の収穫量が大きく左右されていたはず。

廣瀬の「大忌神」とは、洪水を起こす神でもあり、洪水を鎮めてくれる神でもあったということと考えます。




長くなってきたので、今回はここまでに。次回は「大忌祭」の詳細について記します。