手向山八幡宮
(たむけやまはちまんぐう)


大和国添上郡
奈良市雑司町434
(近隣コインP等利用)

■旧社格
県社

■祭神
応神天皇
姫大神
仲哀天皇
神功皇后
仁徳天皇


東大寺の鎮守社として、奈良市街東部の「手向山(たむけやま)」の西麓に鎮座する社。東大寺の「上院」エリアに位置し、三月堂(法華堂)に面した所に大鳥居が設けられています。
◎かつては「東大寺八幡宮」と称されていました。天平勝宝元年(749年)に豊前国宇佐八幡宮より勧請されたのを創建としています。聖武天皇が「大仏造立の詔」を発したのは天平十五年(743年)、「大仏開眼会」が行われたのは天平勝宝四年(752年)。この間に勧請されています。
◎当初は平城京南の「梨原宮」に一旦勧請されたと言います。この「梨原宮」については不詳。「平城京左京三条二坊宮跡庭園」(現地未確認)の近く、そして薬園八幡神社の旧社地(八幡神社が鎮座)が候補地に上げられています(→詳しくは薬園八幡神社八幡神社の記事にて)。
◎それから現在の東大寺鏡池辺りに遷座(現社地より西方300mほど)。こちらは「中門」前の東側に広がる大きな池。現在は池の中の小島に厳島神社が鎮座します。
◎ところが治承四年(1188年)、平重衡により焼討ちに遭い焼失。建久八年(1197年)に再建、さらに建長二年(1250年)に現社地に遷座したとされます。かつては東大寺千手院が建っていたとのこと。現在の社殿は元禄時代のもの。
◎境内は紅葉の名所として知られます。
━「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」(新古今和歌集 菅原道真)━
「手向山」とあるため、現在と同じ場所であろうと思われます。
◎「唐鞍 一具」(飾り馬の唐風馬具一式)が国宝指定。境内社住吉社本殿を始め、重要文化財は多数有り。さらに奈良市指定有形・無形文化財も多数有り。




東大寺三月堂に面した一の鳥居。


神門


神門の並びにある門。通用門といったところかと。趣ある寂れ具合。






以下、境内社 若宮神社


明武神社(豊玉媛神・玉依媛神)、松童神社(応神天皇牛飼童)などの四社合殿と二社合殿の境内社。


一番右は重要文化財指定の住吉神社。



東照宮