積田神社 (春日大社奥宮)
(せきたじんじゃ)


伊賀国名張郡
三重県名張市夏見2162
(P有)

■祭神
県社

■祭神
武甕槌命
天児屋根命
経津主命
姫大神


東西に流れる「名張川」に「青蓮寺川」が南側から合流する地点、名張市「夏見」に鎮座する社。
◎「夏見」は川の停滞「なづむ」に由来するとも。また古語で泥のことを「なづみ」ということに由来するからとも。
東側の丘陵地は縄文・弥生時代からの遺跡があり、その頃から人々が住み着いた地。当地は太古からの霊地とみなされていたようです。
◎当社の正式な社名読みは「せきた神社」。「つむたの宮」とも称されるとのこと(当社由緒書より)。これに関しては奈良の都へ、「名張川」から下流の「木津川」を通じ用材が運ばれていましたが、当地付近に木材集積所がありそれを積んだところからきているとする説も。また当社は「南都春日大社奥宮」とされています。
◎創建由緒については、「人皇四十八代称徳天皇の御宇神護景雲元年(767年)丁未六月二十一日 鹿島大神(武甕槌命)が常陸国鹿島より(鹿島神宮)大和国春日大社へ御遷幸の途次留在された霊蹟にして 古書に伊賀の国名張郡夏見郷御成の宮 或いは宇成神社とあるのは即ち是である。爾来 この神社が南都春日大社奥宮といわれている所以である」としています(由緒書より)
伊勢国から伊賀国、大和国宇陀郡等にかけては、このように春日神の神霊が留まったという伝承がいくつかあり(伊勢国の水屋神社、伊賀国の大村神社、宇陀郡室生向渕の春日神社など)、遷幸の経路が浮き彫りに。
◎由緒書には続けて「旧記による鹿島大神御遷幸の行程」として、「白鹿に乗られ柿の枝を鞭とされ供奉の社司時風秀行(トキフウヒデユキ)と舎人紀乙麿(キノオトマロ)を従えて鏡池で始めてここで休まれてから一ノ瀬で沐浴され次に宮橋を渡り本社に鎮座されたと言われる」とあります。
◎「鏡池」については、「本社のすそを流れる供奉川を隔てて対岸にある小さい池で鹿島大神御遷幸の際 宮地をたずねられたとき 御神影が映ったという池」という注釈が附されています(下部に鏡池社の案内を撮影した写真を掲載)。つまりは「御蔭れ(みあれ)」ということかと。
「供奉川」とは、現在の「名張川」で鏡池社の前あたりを「一之瀬」といい御遷幸のとき食饌に捧げる魚を獲ったといわれる川としています。
◎また「一ノ瀬」については、「一の井・ミヤの井とも言われ本殿の北方糸川の上流」という注釈が附されています。どうやら「一之瀬」と「一ノ瀬」とは異なる場所のようです。
◎「旧記」とはおそらく「春日社記」のことと思われます。そちらにはこの後「同国(伊賀国)薦生中山数ヶ月はべる(中山神社)。時風・秀行等に、栗を植えれば必ず生えることに因り中臣殖栗連と号す(殖栗神社の記事時風神社の記事倭文神社の記事参照)。同年十二月七日大和国城上郡安倍村に御座(春日大社摂社 榎本神社の記事参照)。同二年三笠山御垂迹(春日大社へ)」とあります(以上大意)
◎明治には県社に列格。「中知山」の八柱神社など八社を合祀しています。




晩秋には紅葉の美しい参道となるようです。









巨大な自然石の灯籠。高さは約3m。

春日大社ではお馴染みの神の使いである鹿。

この大銀杏が紅葉時には落葉し黄金の絨毯となるようです。