榎本神社 (春日大社 境内摂社)


大和国添上郡
奈良市春日野町160(春日大社内)
(春日大社有料P利用、料金不明)

■延喜式神名帳
春日神社の比定社

■祭神
猿田彦大神


春日大社の境内摂社。春日大社ご本殿の回廊に、そして南門に隣接する位置に鎮座。そして式内社 春日神社の比定社として宛てられています。これは春日大社の式内名神大社 四座とは異なるもの(他に二社の論社有り)
◎小祠ながらも重要な位置に鎮座するのは、大社創建以前から当地に鎮まっていた神であることによります。つまり「地主神」であり、包み隠さず言うなら奪い取ったということ。
◎その神とは巨勢姫明神。猿田彦大神となったのは室町以降のこと。それ以降「榎本社」と称されるようになったようです。
この姫神を奉戴していたのはおそらく春日氏。和珥氏の一部が当地に移住し、春日姓を名乗ったとされます。時期は不明ながら雄略朝辺りとされています。
◎この「国譲り」ならぬ「土地譲り」に関しては、二つの伝承があるようです。
まず一つ目。藤原京の東方「安倍山」にいた武甕槌神に、春日野一帯(春日大社の周辺すべて)を支配していた榎本神が、土地の交換を打診。武甕槌神は快諾し交換がなされたが、都は平城京に遷され寂しい思いをしていた榎本神に、武甕槌神が近くに来たらどうかと打診し、榎本神が快諾し当地に鎮まったというもの。
なんとも心和む説話に仕立て上げられていますが、現実は勢力を蓄えた中臣氏に春日氏が屈して奪い取られたといったところでしょうか。中臣氏側からの伝承のようにも思えます。
◎二つ目の伝承。武甕槌神が榎本神に「地下三尺だけ譲って欲しい」と打診したところ、耳の悪い榎本神は「面積の三尺」と聞き間違い快諾。榎本神は結局奪い取られてしまったわけですが、住むところも無くなったために、武甕槌神は譲歩して近くで住まわせることにしたというのが当社であると。こちらは春日氏側からの伝承なのでしょうか。