倭文神社 (奈良市西九条町)


大和国添上郡
奈良市西九条町2-14-2
(P無し、鳥居から南20mほど南が少し道路が広くなっておりいつもそこに停め置きしています)

■旧社格
村社

■祭神
武羽槌雄神
経津主神
誉田別命


称徳天皇の御宇、神護景雲二年(768年)に春日大社が「御蓋山(三笠山)」の頂に遷座された時に、侍従社司 中臣連時風(トキフウ)・秀行氏が当地に居住し勧請してきたという社。
◎その祖神である武羽槌雄神を鎮祭。後裔は倭文氏(シズリノウジ)で、当地で神衣(かんみそ)を織ったと案内板には記されます。武羽槌雄神の後裔が倭文氏であり、当地で機織を行っていたのは間違いないことでしょうが、問題は中臣連時風と秀行の祖神を武羽槌雄神としていること。もちろん祖神は天児屋根命であり、「殖栗(エクリ)姓」を授かっています。武甕槌神と武羽槌雄神とが混同されたのでしょうか。そもそも悪神とされる天香香背男神を討てなかった武甕槌神に代わり、討ったのが武羽槌雄神ですし。
◎この2氏が登場するのは、鹿島から武甕槌神を大和に供奉してくる場面。途中、名張の「薦生山」で神から頂いた焼栗を植えたら芽が出たので「殖栗姓」を賜った云々の伝承があります。城上郡には式内比定社 殖栗神社が鎮座し、この辺りにもゆかりがあるようです(式内比定に関しては記事参照)。武甕槌神の神霊を無事に「春日野」へ供奉し終わった後は、当地に居住したようです。西100m余りに時風神社も鎮座します。
◎倭文氏については古代の謎の一つ。渡来系の職能集団であり、武羽槌雄神(天羽雷命などとも)と棚機姫神を祖神する一族。いずれにしても機織にまつわる氏族ですが、武羽槌雄神に関しては武神説も根強くあります。上記のように天香香背男神を討った神でもあります。
また棚機姫神についても下照姫神であったり、栲幡千千姫神であったりと。本源は大和国葛下郡の式内大社 葛木倭文坐天羽雷命神社とされていますが異説もああります。

*写真は2019年5月と2021年9月撮影のものとが混在しています。