坂田神明宮


近江国坂田郡
滋賀県米原市宇賀野835-2
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
岡神社の論社

■社格等
[旧社格] 県社
元伊勢「坂田宮」の比定社

■祭神
天照皇大神
豊受毘売命


鈴鹿山脈の北西末端を源流とする「天野川」河口に鎮座する社。琵琶湖からは700~800mほど内陸。
◎当社は元伊勢「坂田宮」の比定社。他に候補社は無し。「倭姫命世記」によると、天照大神の御魂を奉戴した倭姫命は垂仁天皇八年、「甲可日雲宮」から「坂田宮」へ遷し、二年間奉斎したとあります。この霊地に後に創建したとされるのが当社。なおこの後は美濃国「伊久良賀宮」へと遷されています。
◎「坂田宮」から美濃国「伊久良賀宮」へ遷されてからは、伊勢の神宮の神領となり、「坂田御厨」と称されたようです。「新古今和歌集」には「近江のや 坂田の稲を 掛け積みて 道ある御代の 初めにぞ舂く(つく)」(藤原俊成)と。
元伊勢となる地はいわゆる霊地であるとかねがね記してきました。その多くが険しい山中であり、磐座などが座す地。ところが当地は河口の至って平地であり磐座などは見当たりません。強いて言えば「眞名井池」があることくらいでしょうか。当地は「水」に深く関わる息長氏が拠点とした地。
元伊勢は近江国に入ってきてからは次第に平地へと移ります。天照大御神の神霊を外敵から守るために山中を選らんでいたと考えていますが、近江国に入ってからは目的が変わったのでしょうか。
◎ご本殿は二殿並立。もう一殿は岡神社(式内社 岡神社の論社)。こちらは第6代孝安天皇の御代、宇賀野魂命(豊受毘売命)が降臨し鎮まったとのこと。
「特選神名蝶」は当地に「岡村」があったこと、また「岡」は「宇賀」や「受」に通ずるからと。近世には岡天王社と称されていたようです。
◎式内社 岡神社については、他に岡神社(米原市間田)、長岡神社、彦根神社が挙げられています(いずれも未参拝)。
◎さらに宇賀野魂命と同時に御食都神と大歳神も降臨、「筑摩三神」と称されたようで、こちらは築摩神社に鎮座しています。
◎境内社として七所宮・四所宮・倭姫社があるようですが、どれがどれか不明。七所宮は内宮別宮に、四所宮は外宮別宮に、それぞれ倣ったとされます。外宮別宮は四社ですが、内宮別宮は十社あり、社数は合いません。


境内への進入は北側からの方がスムーズです。




二棟並立のご本殿。

この辺りが七所宮と四所宮、倭姫社でしょうか。


「眞名井池」。わざわざこの地を選んだのは、ここにこの池があったからかもしれません。

後鳥羽上皇に関わるもののようですが、文字は薄くなっており判別できません。