筑摩神社


近江国坂田郡
滋賀県米原市朝妻筑摩1987
(P有)

■旧社格
県社

■祭神
御食津神
[配祀] 大歳神 倉稲魂神 大市姫神


琵琶湖の東岸畔、「朝妻筑摩」に鎮座する社。当社西側は琵琶湖、東側は内湖「入江湖」でした。戦後食糧難から干拓が行われ田畑に、現在は宅地にもなっています。
「入江湖」は入江神社(未参拝)が鎮座する、琵琶湖より東方1.5kmほどまであった内湖。北は当社付近から南は磯崎神社の辺りまで。
◎社伝によると第6代孝安天皇二十八年に創祀されたとのこと。また神功皇后が三韓征伐に向かう際に戦勝祈願を行った、さらに第26代継体天皇が越前から大和入りする前に当地に行宮を設けたとされています。
神功皇后は息長氏の血を引き、継体天皇も息長氏の血を引くという説も。息長氏に関わる社であると言えそうです。孝安天皇二十八年というのが謎。
◎桓武天皇の時代には大膳職(おおかしわでのつかさ)「御厨」が置かれた地。主祭神から配祀神の三座を加えた計四座は、いずれもその「御厨」の守護神であったと思われます。創建はこの時代ということでしょうか。
◎その四座が鎮まる以前は異なるご祭神であったものと思われます。当社の南北に長い参道の両端は上述のように湖。息長氏が奉斎していたと考えるなら水神を祀っていたのでしょうか。
後鳥羽天皇や源頼朝らから篤い崇敬を受け、中世には神階は正一位に。江戸時代には井伊氏からも篤い崇敬を受け、大正には県社に。ところが神名帳には記載されない式外社であるのが、少々不可解。
◎当社を有名にしているのが「鍋冠祭」。これは数えで8歳の少女が、御旅所から当社まで頭に鍋を被りながら練り歩くという奇祭。かつては妙齢の女性が、経験した男性人数分の鍋を被ったと伝わっています。「伊勢物語」にも記される祭で、創建時から行われていたようです。
食にまつわる神々を祀ることからの鍋と考えられていますが、そもそも息長氏が祭祀を行った社と考えるのであれば鉄製品という連想もできるのではないかと。









「近江なる 都久万(筑摩)の祭 とくせなむ つれなき人の 那辺(鍋)のか寿(数)見む」(伊勢物語)