多治神社
(たじじんじゃ)


丹波国船井郡
京都府南丹市日吉町田原宮後2-2
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
多沼神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
大山咋命

天太玉命



「桂川」の支流「田原川」沿い、山合のわずかな平地に鎮座する社。「桂川」は下流で「大堰川」に合流します。
◎社伝によると創建は、慶雲年間(704~707年)に田原左大臣によるものとされています。
田原左大臣とは天智天皇第三皇子 志貴皇子のこと。天武天皇が即位し、次期天皇は草壁皇子を事実上約束、兄弟間で皇位後継争いを起こさないよう誓い合わせた「吉野の盟約」に参加した一人(春日宮天皇 田原西陵奈良豆比古神社の記事参照)。
姉が持統天皇として即位するも、叙位も無ければ要職にも任官されておらず、待遇においては不遇と言わざるを得ないもの。文化人として生涯を送ったようです。当社社伝において「左大臣」と称していますが、
◎境内は文化財環境保全地区に指定。清流深山川を巧みに利用した大変に美しいもの。南側の丘陵斜面には巨大露出岩盤が見られ、古代からの信仰対象であったことと思われます。
◎式内比定社であるものの、記載の社名は「多沼神社(タヒチジンジャ)」。いつの頃からか誤記されるようになったとみるべきなのでしょうか。なお現社名「多治神社」の本来の読みは「タハルジンジャ」。
◎ご祭神は二座祀られているものの、神名帳においては一座。二座ともに鎮座理由は不明、現在どちらが主祭神であるのかも不明。
当社から勧請された多治神社(後ほど記事UPします)が東方の山を越えた反対側に鎮座しますが、そちらは天太玉命がご祭神とされていることから、一座は天太玉命であるのかもしれません。
◎二つの特殊神事が有名。鎌倉後期に始まったとされる拝殿内で行われる「田原の御田」。国の重要無形文化財に指定。もう一つは「田原のカッコスリ(羯鼓すり)」という、御輿渡御前に境内で演じられる躍りなどの民俗芸能。こちらは府の重要無形文化財に指定。


当日は新嘗祭ということもあり、参拝者も多めだったようです。


ご本殿前、二本の多羅葉の巨樹も目を引きます。









神籬跡でしょうか。

山腹の磐座らしきもの。