☆ 春日宮天皇 田原西陵


大和国添上郡
奈良市矢田原町
(詳細住所不明、間違えて途中の農道からアクセスしたため駐車場は未確認)



奈良市東部の長閑な山村地「矢田原町(やだわらちょう)」に築かれた墳墓。

春日宮天皇とは志貴皇子(施基皇子・芝基皇子とも)のこと。

天智天皇の御子であり、万葉歌など歌人として名を残しています。
有力な皇位継承者と成り得たもののそのような機会は訪れること無く、また目立った事績も無く、文化人のまま薨去したようです。

紀の天武天皇即位八年の条に「天皇は吉野に行幸した。天皇と皇后(後の持統天皇)と草壁皇子尊、大津皇子、高市皇子、河嶋皇子、忍壁皇子、芝基皇子に詔した」から始まる、いわゆる「吉野の盟約」というものがあります。

ここでははっきりと言及していないものの、事実上志貴皇子に皇位が継承されるべく内容となっています(奈良豆比古神社の記事参照)。

これには鸕野讃良皇女(後の持統天皇)の思惑が見えます。志貴皇子や腹違いの御子である大津皇子などを差し置き、皇位は自身の御子である草壁皇子に(結局は即位する前に薨去)。

ここで思い浮かぶのが大海人皇子(後の天武天皇)。吉野へ遁世し争う気配など見せず、そこからの一気の進軍、そして撃破劇。

果たして志貴皇子は、そういった機を伺っていたものかどうか。また天武天皇はそのように疑わなかったのかどうか。

紀はあくまでも勝者の歴史書であり、真相は闇に伏せられたままですが。

なお「春日宮天皇」とは、御子が光仁天皇に即位したことによる追尊とされています。