何鹿神社
(いつしかじんじゃ)


丹波国船井郡
京都府船井郡京丹波町曽根竿代10
(一の鳥居横、境内にも駐車可)

■延喜式神名帳
出石鹿いそ部神社の比定社
(「いそ」は「山篇」に「石」)

■旧社格
郷社

■祭神
大山祇命

品陀別命
彦狹知命


「曽根川」を水源として広がる広い田園地帯、「曽根竿代(そねさおだい)」に鎮座する社。「曽根川」は「高屋川」に合流し、さらに「由良川」に合流。南北に伸びた長い参道が印象的。
◎社頭案内によると、天武十二年(683年)には既に鎮座、大宝二年(702年)から「出石鹿いそ部神社」(「いそ」は「山篇」に「石」)と称されていた、正和四年(1315年)に何鹿神社と呼称するようになったとしています。資料によれば白鳳時代(推古朝代)というものも。
◎社名からまず連想されるのはやはり「石」かと。当社付近で川が湾曲、上流から転げてきた巨石の集積地であるようです(現地未確認)。
次に連想されるのが石邊氏(馬路石邊神社の記事参照)。ところが当地には今のところ痕跡が見出だせません。
連想される最後は、近江国から丹波を経て丹後国に多く見られる「いそ部」(「いそ」は「山篇」に「石」)。現在知り得る限り7社も存在。これについては研究検証がなされたものを見たことはなく、あくまでも自説ですが、偶然では済まされないもののように考えています。磐座、そして製鉄鍛冶が絡んでいて、日子坐王あるいはヒボコ神が関わっているのではないかと(吉姫神社の記事参照)。
◎かつては「塩田村」に鎮座していたとのこと。
南西2kmほどの岩山神社(未参拝)とする説も有り。「塩田谷」集落の外れの山裾に鎮座。境内に「ヘナギ石」と称される巨石が座し、岩上に創建されたとされています。創建は延暦年中(783~805年)。現在の行政区画である「塩田谷」辺りには、その社以外に見当たりません。
当社の創建時期の方が古く、また創建当初から「出石鹿いそ部神社」と称していたという社伝が正しいのかどうか。
◎他の有力な手掛かりとして、かつての例祭には南西500mほどの「御輿岩」へ渡御が行われていたようです。現在は宅地造成されて消失したもよう。


向かって左手に停めました。右手から境内へ進み停めることも可。

平成十一年に起きた不審火により社殿が焼失。現在は再建されたもの。往古の面影は無く少々殺風景なもの。往古からの大社の新たな歴史を、ぜひとも紡いで頂きたいものです。

参拝当日は新嘗祭の準備中でした。