馬路石邊神社
(うまじいそべじんじゃ)


近江国野洲郡
滋賀県守山市吉身4-4-1
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
馬路石邊神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
建速須佐之男命
[合祀] 大己貴命


「野洲川」下流南岸、民家が建ち並ぶ中に鎮座、鬱蒼とした樹叢に包まれた社。この樹叢は原生林であり「天王の森」と称されているようです。
◎創建由緒については社伝によると、白鳳三年(674年)建速須佐之男命を奉斎、続いて朱鳥元年(686年)大己貴命を合祀したとしています。そして田中大明神として崇められていたと。
◎滋賀県神社庁のサイトには以下のように。社名の「馬路」については平城京出土の木簡に、「益珠郡(野洲郡)馬道郷石邊玉足」、森ノ内遺跡出土木簡に「馬道首」に見える地名、和名抄「按馬路駅家八郷名也」に見える古郷であり、石邊とは馬道郷の土豪 石邊君氏の姓で、馬道(路)郷の石邊君の氏の社であると。
◎この氏族については「新撰姓氏録」に、「左京 神別 地祇 石辺公 大國主(古記一云 大物主)命男久斯比賀多命之後也」と見えます。
久斯比賀多命(天日方奇日方命)は大物主神と活玉依毘売(陶津耳命の娘)との間に生まれた御子。曾孫に意富多多泥古(大田田根子)。当然ながら大神朝臣や賀茂朝臣も同祖。「先代旧事本紀」には神武天皇の御宇、「食国政申大夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)」として宇摩志摩治命とともに橿原宮に供奉したとあります。
◎ご祭神については石邊君氏の祖神である建速須佐之男命、或いは大己貴命を祀った社と見て取れそうですが、「式内調査報告」は異論を。第一次祭神は石邊氏の祖神を祭祀した古代信仰に発するもので、今のご祭神は第二次的な奉祀あるいは祭神変更であると。
◎これはかつて当社神宮寺であった益珠寺が天台宗系で、その総本山である比叡山延暦寺の鎮守神である大己貴命を勧請したものであると。また建速須佐之男命については、神域一帯の樹叢が「天王の森」と称されていることから、牛頭天王を祀っていたのが祭神替えされたものと見ています。
◎神名帳では一座であり、田中大明神が本来のご祭神。それが石邊氏の祖神である久斯比賀多命に擬したものと見ています。或いは別の考え方として、四道将軍として派遣された彦坐王の痕跡が残る地として奉斎が始まったのではないかというものも(→ 詳細は吉姫神社の記事にて)
◎境外の喧騒から一線を画した、原生林が残される境内はとても心地よいもの。社殿や楼門等も見応えのあるものが残されています。


長い参道が続きます。

珍しい形状の楼門。




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