阿自岐神社


近江国犬上郡
滋賀県犬上郡豊郷町安食西663
(社前道路が広いため寄せて停め置きました)

■延喜式神名帳
阿自岐神社 二座 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
味耜高彦根神
道主貴神
[配祀] 天児屋根命 保食神 須佐之男命 天照大神 應神天皇 宇迦之御魂神 大巳貴命 猿田彦神 埴山姫神


彦根市との境、犬上郡豊郷町「安食(あんじき)」に鎮座する社。「犬上川」と「宇曽川」に挟まれた広大な平野部。
◎創立は景行天皇四十三年、犬上君によるものとされます。
犬上君は紀の景行天皇五十一年の条に「日本武尊は両道入姫皇女(フタヂイリヒメノヒメミコ、垂仁天皇皇女)を娶り妃として稻依別王を生んだ。次に足仲彦天皇(仲哀天皇)、布忍入姫命、稚武王を生んだ。その兄の稻依別王は犬上君、武部君の祖である」と見えます。
◎この犬上君が犬上郡の地名由来となったものと考えられ、南1km余りには犬上神社が鎮座しています(未参拝)。稻依別王は熱田神宮の境内、式内名神大比定社 日割御子神社にて祀られます(公式は天忍穂耳尊)。
また近江国一宮である建部大社は、景行天皇四十六年に両道入姫皇女と稻依別王が創建したとされます。原初はこちらも当地 犬上郡に鎮座していたと。
◎後裔の犬上君御田鋤が遣隋使・遣唐使に度々派遣されたことで知られますが、また犬上君白麻呂も高句麗に派遣されるなど、対外交渉の場面での活躍が顕著。
◎当社を奉斎したのは阿自岐氏と考えられています。阿自岐氏は応神天皇十五年に百済から渡来した阿直岐(アチキ)を祖とする氏族。「千字文」を伝えたとされる(反対説有り)、王仁(ワニ)を推薦したとされます。阿知使主(アチノオミ)と同一人物説も。
犬上君と阿自岐氏が何らかの関連を持つことにより、犬上君が外交の場面において活躍できたのではないかと考えます。
◎ご祭神の味耜高彦根神は鴨大神。一般には所縁無きものであるものの、謎多き神であり、単に語呂から宛てられたのか、あるいは阿自岐氏が祖神として祀ったのかは決めがたいところ。
本来のご祭神は不明と言わざるを得ないでしょうか。神名帳では二座とあり、両氏の祖である稻依別王と阿直岐とを宛てると収まりは付きますが。
◎当社は広大な庭園を有することでも知られます。ご本殿を中心に東池(920坪)、西池(770坪)の果てしない大きさ。創建当時は四周を池が囲んでいたといい、灌漑用水も兼ねた「池泉多島式(ちせんたとうしき)」と呼ばれるもので、大小の島々を異なる橋で繋いだもの。
この庭園は古代の原型を留める唯一のものとされます。1500年ほど前のものと考えられ、おそらくは阿自岐氏の邸宅跡だったのではないかと。この庭園を巡り那須与一や井伊直弼の言い伝えがあるようです。