五社総社 (泉井上神社境内)


和泉国和泉郡
大阪府和泉市府中町6-2-38
(P有)

■延喜式神名帳
[合祀] 和泉神社の論社

■祭神
和泉大明神(独化天神)
天照大日霊貴尊(大鳥大社)
天忍穂耳尊(泉穴師神社)
天瓊瓊杵尊(聖神社)
彦火火出見尊(積川神社)
鸕鷀草葺不合尊(日根神社)
御諸別尊
和泉国六十二座


神功皇后三韓征伐の際に当地へ行幸、一夜にして泉が沸き出たことを起源とする泉井上神社。その境内に「和泉五社」の神々を勧請してきたのが当社。
◎律令制が敷かれ、赴任した国司が自国内主要社の巡拝する順序が定められましたが、「和泉五社」とはその和泉国国司巡拝のもの。716年という最古のものであり、制度として定められました。すべてが遷座合祀などされず現存する希有なもの。一ノ宮から順に大鳥大社泉穴師神社聖神社積川神社日根神社
◎当地には現在も「和泉府中」という地名が残る通りに、かつて和泉国府が設けられました。この「和泉五社」の神々を勧請して総社を設け、国司が参拝の便宜を図ったのが当社。
◎「和泉五社」の神々はすべて皇室の祖神。「独化天神」という和泉大明神は、独り神の天神、つまり天之御中主神・高皇産霊神・神産霊神とする説が有力。「和泉国六十二座」は和泉国内のあらゆる神社の神々を勧請してきたと考えるべきでしょうか。
◎御諸別尊が、合祀されたという和泉神社のご祭神ではないかと考えられています。旧社地は「府中町4丁目」であったらしく、これは当社南側すぐ。この地が珍県主(チヌノアガタヌシ)の拠点とされているため、その祖神 御諸別尊を祀ったとみられます。
その地にはかつて和泉寺という仏教施設があり、「珍県主廣足」と墨書された瓦片が出土しているようです。
◎珍県主は「新撰姓氏録」に、「和泉国 皇別 珍県主 豊城入彦命三世孫御諸別命之後也」とあります。豊城入彦命は崇神天皇皇子。豊城入彦命以下、東国へ派遣されたと紀にはありますが、実際は御諸別尊から東国赴任したものとみられます。毛野国を統治したようです。


鳥居正面に見えるのが当社。泉井上神社社殿は向かって左へ。