神野山大神・王塚神社 (デネブ)


大和国山邊郡
奈良県山添村大字大塩(「神野山」山頂)
(P有、山頂まで20分程度)

■祭神
[神野山大神] 甕速日神
[王塚神社] 熯速日命


「磐座」信仰の名所である山添村の中核を成す「神野山」(こうのやま、標高618.8m)にあり、その中心である「鍋倉溪」を越えた山頂に鎮座する社と、隣接した塚状の史跡。
◎神野山大神に関しては甕速日神(ミカハヤヒノミコト)を祀る社であるとのこと。武甕槌神の母神であり、これは春日大社「春日山原始林」の禁足地内に鎮座する末社 神野神社(未参拝、祭神 : 甕速日神)との関連が考えられます。甕速日神は春日におり、武甕槌神は母の元へ遙々とやって来たと伝わります。「春日山」に鎮座する摂末社のなかでももっとも高い位置に鎮座。これは武甕槌神の従者であった舎人に求婚され、「春日山」の高い所へに逃げたからであると。
◎王塚神社(通称「王塚」)に関しては2通りの説有り。地元伝承によると熯速日命(カンハヤヒノミコト)の塚であるとのこと(案内板を撮影した下部写真参照)。熯速日命(別名 樋速日命)は紀の一書には甕速日神の御子神とされ、天照大御神と素盞鳴尊との誓約(うけひ)により生まれたと記されます。一方記には伊邪那美神が軻具突智命を生んだために神避り、怒った伊邪那岐命が軻具突智命を斬りますが、その際に剣の鋒端より甕速日神、樋速日神、武甕槌神の三柱が生まれたと記しています。
これに対してもう一つの説を上げているのが「山添村いわくら文化研究会」。白鳥座のデネブを表していると。そもそも古代人は「鍋倉溪」を「天の川」になぞらえ、アルタイルベガアンタレス
といった磐座が配されているという説を上げています。そしてこの王塚を含めて「夏の大三角形」が形成されていると。つまり塚(古墳)ではなく祭祀場であったということに。
◎「山添村いわくら文化研究会」の説は、「天の川」そして「夏の大三角形」の位置がきれいに重なることから説得力のあるもの。地元伝承として残っているものは、神野山大神に祀られる神が混同されてしまったのでしょうか。


こちらが神野山大神。冒頭写真は当社社殿より王塚神社を写したもの。

まるで稲荷社のような姿に。

以下が王塚神社。

石垣が巡らされています。これも祭祀場の一部ということのようです。



「イワクラ」 イワクラ(磐座)学会編著より。この図案は非常に明解で、いくつかのパンフにも散見されるので写真を撮り使用させて頂きました。