龍王社 (春日大社 境内末社)


大和国添上郡
奈良市春日野町160(春日大社内)
(春日大社有料P利用、料金不明)

■祭神
龍王大神


春日大社が創建1250年を迎えた平成三十年に、140年ぶりに復活した社。これは宮司の悲願ではなかったのかと見受けられます。
◎当社は「春日奥山」に鎮座する鳴雷神社(未参拝)の里宮としての扱いを受けていました。この鳴雷神社は式内大社であり、神名帳においては添上郡の筆頭に記されています。また春日大社の深淵にかかわる神社ではないかとも。
◎大和は盆地であり干魃が頻繁に起こる地。雨乞いの祈りが頻りに捧げられました。春日大社も例外ではなく、神仏混淆の影響が強いため隣接する興福寺の僧侶たちにより行われたようです。
鳴雷神社はご祭神を天之水分神とし、この地は「佐保川」と「能登川」の分水嶺であるらしく、正に「水分(みくまり)」の地。そして社前には「龍王池」なるものがあり(現存)、龍神が棲むとされているようです。
◎現社地の南隣(現在の「祈祷所」の位置)には「安居屋(あんのごや)」という興福寺僧侶の修行館があり、かつての龍王社はその館内に鎮座していたとか。明治の神仏分離令により「安居屋」は廃され、龍王社も向かいの総宮神社という境内社に合祀されました。
◎大和の龍神として想起されるのは室生龍穴神社ですが、当社と関連する以下の伝承があります。「室生に龍穴に棲む善女龍王は興福寺の猿沢池に居たが、釆女の入水を嫌って(釆女神社の記事参照)香山春日山の南に移り住んだ(鳴雷神社のこと)。そこにも死体が捨てられるようになり室生に移り住んだ」と。
以上で当社及び鳴雷神社の鎮座及び存在理由が解されるかと思います。そして140年ぶりに合祀されていた総宮神社より、分遷復活しました。