多賀宮 (豊受大神宮別宮)
(たかのみや)
伊勢国度会郡
◎創建時期は不明。「止由宮儀式帳」では豊受大神宮の創建を雄略天皇二十二年(5世紀後半か)とし、同時に当社も創建されたとしています。
ところが皇大神宮の現社地での創建がもっと下った時代であると考えられ、豊受大神宮はそこからまださらに下った時代であるかと。続紀に「文武天皇二年(698年)十二月乙卯 多気大神宮を度会郡に遷す」とあり(正確な記述は「多気大神宮寺」)、この年に現在の皇大神宮の社地に遷座されたのではないかと筑紫申真氏は説いておられます。
神名帳には式内大社として掲載されているため、927年には既に鎮座していたことは分かっています。
◎神名帳には「高宮」とあり、その社名通りに高い所に鎮座する宮という意味。そのような所に鎮める必要があるほどの社(神)と捉えるべきかと。現社名は好字が宛てられたにすぎません。
◎ご祭神は豊受大御神荒魂。豊受大神の荒御魂を祀る社であると解するのが自然かと思われます。同じ神霊でも「荒御魂」と「和御魂」の二面性を持ち、荒々しく活動的に作用するとされるのが「荒御魂」。時には天災を起こすこともある神として捉えられています。
◎「倭姫命世記」や「天照坐伊勢二所皇太神宮鎮座次第記」、「中臣祓訓解」などには、豊受大御神荒魂を伊吹戸主と同神とするとされており、また神直毘神と同神とするとも。これは皇大神宮別宮 荒祭宮にて祀られる天照坐皇大御神荒御魂が瀬織津姫と同神であるとしていること、また八十禍津日神とも同神としていることに対応したもの。
これらをもって正しい解釈とするかどうかは意見の分かれるところ。ところが複数の書でそう記されている以上、素直にそう解するべきなのかとも思っています。
◎本来、皇大神宮や豊受大神宮は一般人が参拝するようなところではなく、唯一天皇の命を受けた斎王のみが奉斎する対象の社。したがって現在に至っても参拝は許可されているわけではなく、「正宮」の外側いわば境外とでもいうべきところから遙拝することを許可しているのみ。したがって両大御神の荒御魂の真実など公開すべき必要性など無く、秘されて当然のもの。秘されるほど真実を知りたくなるのが人の性とも言えますが、答えは永遠に出ることはありません。
※写真は2018年6月撮影のものです。
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