物部神社 (津市新家町)


伊勢国壹志郡
三重県津市新家町563
(P有)

■延喜式神名帳
物部神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
宇麻志摩遅命
[配祀] 建速須佐之男命 彌都波能賣命 大己貴命 応神天皇 仁徳天皇
[合祀] 五男三女神(天忍穂耳命 天菩卑命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須毘命 多紀理毘売命 市杵島比売命 多岐津比売命) 菅原神 火之加具土神


「雲出川」下流域の大きな湾曲部に鎮座する社。「山辺行宮」と「式内 物部神社」で知られます。
◎創建時期については不詳。江戸時代に起こった洪水で当社縁起に関わるものが悉く流失、わずかに一巻のみ残ったようで、それからしか手掛かりがないようです。
◎それによると、「山辺行宮(当社のこと)は祭神 牛頭天王一座、素戔嗚尊荒魂である。末社に八王子宮がある。山辺行宮は、止由気大神が遷幸し山田原へ通過の際に一夜を明かした館である。旧記によると雄略天皇二十三年(485年)七月七日、奇妙な光が現れ村の長が確認すると素戔嗚尊荒魂であった。皇太神の旅道守護のために現れたと。この地に留まって慈恵を分け布こうとしたい。元々ここは私が根の国より帰ろうとした時に少し留まった所である(大意)」と。こうして社殿を建てて祀ったとあります。原初は素戔嗚命が祀られていたものが、牛頭天王へと変化したようです。
◎かつては二座鎮座していたとされ、物部連や新家連が拠点とし奉斎したのが一座あったとのこと。新家氏はいくつかあったらしいものの、物部氏の血を引く新家連(ニイノミノムラジ)かと思われます。「神名帳」では一座となっており、素戔嗚命が該当するのか、物部連や新家連の祖神である宇麻志摩遅命が該当するのか不明。
◎新家連は新家首(ニイミノオビト)の末裔で、新家首の当主。新家首は物部氏の分流とされ、汙麻斯鬼足尼命の裔であるとのこと。汙麻斯鬼足尼命については不明。「新家」とは新たに設ける屯倉のこと。新家連は宣化紀元年、五月一日の条に、「物部大連麁鹿火(アラカヒ)は新家連を派遣し新家屯倉(にいみのみやけ)の穀を運ばせよう」とする旨の記述が見えます。
◎遷座の記録は無く、洪水災害の後も鎮座地を変えずに再建したとか。古代からの霊地とされていたことが窺えます。
◎なおかつては樹叢に覆われていたらしく、「山辺の御井」も近くにあるとか(現地未確認)。*関連記事は「山邉の御井(都祁)」にて

*写真は2016年1月と2024年4月撮影のものとが混在しています。










ご本殿は覆屋内に。

「山辺行宮」石碑


伊勢国に多く見られる山神等の合祀



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