上下知我麻神社 (星宮社 境内摂社)


尾張国愛智郡
名古屋市南区本星崎町字宮西616(星宮社境内)
(P有)

■延喜式神名帳
上知我麻神社の論社
下知我麻神社の論社

■祭神
[上知我麻神社] 乎止與命
[下知我麻神社] 眞敷刀婢命(マシキトベノミコト) 伊奈突智老翁


熱田神宮の境内摂社 上知我麻神社下知我麻神社の元社ともされる社。星宮社の境内摂社となっています。これは当社が古代より鎮座していたところに、星宮社が被さったものかと考えられています。原因は隕石落下によるものかと。
上知我麻神社のご祭神、乎止與命は宮簀媛命の父神。「旧事本紀 国造本紀」には成務朝に尾張国造となっており、尾張氏の祖であり当地の地主神。美濃国や飛騨国に居の後、乎止與命の時代に尾張国に移っています。居住地は氷上姉子神社(記事未作成)の地であると推定されます。
下知我麻神社の方は、乎止與命の后である眞敷刀婢命と伊奈突智老翁が祀られます。神名帳では一座であり、伊奈突智老翁は合祀といったところでしょうか。当地は古代より製塩業が盛ん、その技術を伝えた神として祀られているようです。つまり塩土老翁と同神と思われます。
これに対して眞敷刀婢命と玉媛としているのが「熱田宮旧記」。玉媛とは、乎止與命と眞敷刀婢命との間に生まれた建稻種命の后。
星宮社には承平五年(935年)に、熱田大明神に平将門調伏の祈願を行ったという伝承があります。これはもちろん当社のことであり、星宮社とは無関係。また当時に星宮社は創建されていないと思われます。建稻種命と宮簀媛の兄妹はの子孫は尾張氏であり、熱田神宮大宮司家を務めています。この年は神名帳が編纂されて間もない時期。つまり創建はさらに遡りますが、一説には舒明天皇九年(637年)とも。

※写真2017年9月撮影のものです。


星宮社ご本殿の左手(向かって右手)から。

二殿が並立、その前に磐座らしきものが座します。


尾張国の神社