國津神社 (都祁白石町)


大和国山邊郡
奈良市都祁白石町580
(道路向かいに大型P有)

■祭神
大国魂命


奈良市東部の山村地帯、「都祁(つげ)」地方に数多く点在する國津神社の一社。明治の合祀令により失われたものも数多くあります。
◎創建由緒等については奈良県神社庁データは以下の通りに。「古代ツゲ国の中心地、つげ平野の東方・水湧庄の中央丘陵・字神子尻に大きな白い石があり、古代の信仰を集めていた。国つ神と崇敬せられ、社殿を建立、国津大明神と称せられた」と。
続けて「平安時代後期、山内7庄として興福寺 (中略) の荘園が成立し、その中で水湧庄は最も耕地の反別多く優勢であった。荘園は2つに分けられ、北側を水湧庄、南側を白石庄と称された」とあります。
これによると現在の「都祁白石町」の北半分くらいが「水湧庄」、南半分くらいが「白石庄」であろうかと。「字神子尻」の具体的な位置は不明。
◎当社を語る上で外せないのが南之庄町の國津神社雄神神社。南之庄町の國津神社は「白石」を御神体としており、当社はそちらから分霊したという説も見受けられます。背後の山中に座しているという情報があります。
詳細は不明ながら、当社境内に座す「白い石」が南之庄町から持ち運ばれたのかもしれません。人口増加、新規開墾、集落拡大などと想像してみたりも。
◎別に考えられるのが雄神神社との関わり。神は雄神神社と当社とを往来するという伝承があり、休憩処として「休んば」と称される小さな樹叢が4ヶ所あります。
こちらは社殿無し、山そのものを御神体とする社。山頂には大蛇が棲み石室があるとも言われています(全山禁足地)。それがもし本当であるなら、当地を拠点とした都祁直、或いは都祁直が奉斎した神が眠っているのでしょうか。その神霊が当社に降りて来るとも考えられます。
◎「白石」を起点とし、「休ん場」のうち3ヶ所が一直線で結ばれます。またその先は「雄雅山」の山頂、そしてこのラインは「白石」から見て夏至に太陽が昇る方角であるようです(「野野神山」または「雄神山」は二山から成り、向かって左が「雌雅山」、向かって右が「雄雅山」)。つまり日祀りの霊地として霊石「白石」が据えられたと考えられます。










こちらが「白石」。





境内前から雄神山(向かって左)と雌神山(向かって右)を。

以下「休ん場」の写真を。