勝手神社 (大和高田市神楽)


大和国葛下郡
奈良県大和高田市神楽2-7-34
(P無し、近隣コインP利用か)

■旧社格
村社

■祭神
正哉吾勝勝速日天忍穂耳命


大和高田市の市街地「神楽(じんらく)」という地に鎮座する社。「高田川」東岸に広がる低地、幹線道路を外れれば未だ田畑が多く残ります。
◎「神楽」という地名を巡り、古来よりいろいろと研究がなされていますが未だ定説は無し。秦氏が関わっており、百済の「甘羅(かむら)」という地名を移してきたとみるのが有力。
◎紀の応神天皇七年に「武内宿禰に命して 諸の韓人(からひと)等を領ゐて(ひきいて)池を作らしむ」とあります。この「韓人池」は大和国十市郡(現在の磯城郡田原本町)の「唐古池」に比定されていますが、当時に巨大な古墳を築いたように、高い技術を有した渡来人を率いて大規模な土木工事を盛んに行ったものと思われます。当池もその一つだったのではないかと。
渡来人は川の堰を造るなどの高度な技術も持っていたとされ、池などは造作もないことだったようにも思います。
◎「はた」は古代朝鮮語で「海」の意であるとされるとか。城下郡(現在の田原本町)には、秦氏の氏寺である「秦楽寺(じんらくじ)」があります。また式内大社 池坐朝霧黄幡比賣神社、式内社 岐多志太神社など、さらに隣の十市郡には笠縫神社・春日神社(秦楽寺は当社の神宮寺とされる)なども鎮座。当時はその辺りを中心に、大和の各所から河内国へと勢力を広げていたと考えています。
◎ご祭神は「吉野山」の勝手神社からの分霊と伝わります。「大峯山」への行者詣の際には、まず当社に参ってからという慣わしがあるとか。正哉吾勝勝速日天忍穂耳命は雷神ですが、この辺りに雷が落ちたという伝承があるようです。創建時期については分かっていません。

*写真は2019年5月と2021年10月撮影のものとが混在しています。


県道5号線側から。向かいは高田警察、北隣は高田郵便局。

鳥居は県道と反対側に。





社前の池。