池坐朝霧黄幡比賣神社
(いけにますあさぎりきはたひめじんじゃ)


大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町法貴寺502
(境内北側は駐車できるように道が広げられています、川沿いの道から進入)

■延喜式神名帳
池坐朝霧黄幡比賣神社 大 月次新嘗相嘗 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
菅原道真公


「大和川(長谷川)」西岸畔、田原本町「法貴寺」集落内に鎮座する社。
◎社名にある「幡」の通り機織り系の神社であろうとされています。その機織り系とされる秦河勝が草創(聖徳太子創草とも)と伝えられる旧法貴寺が当社に隣接してあったようで、この傍証となるかと思われます。地名も「法貴寺」。
◎創建はその秦氏によるもの。氏寺が法貴寺で、氏神であり鎮守社が当社であったとされます。その仏教施設の創建が推古二十四年(615年)とされ、当社もその頃とみられます。
◎神名帳に記されて以降は記録が見えず衰徴したようで、天慶9年(946年)に北野天満宮より勧請したと「法貴寺縁起」にあり、以後は天満宮と称されていたようです。
◎ご祭神については社名通りに黄幡比賣神であったと思われますが(「朝霧」は枕詞か)、なぜか天萬栲幡千千姫命に。「神名帳考証」は音の相似性から同神としていますが、少々短絡かと。これも推測に過ぎませんが、「幡」つながりでいつの間にか変わってしまったと見るべきか。
黄幡比賣神については記紀やその他古書には見られず不明。察するに上述の通り機織り神であり、また水神として崇められていたものかと。現在の境内周辺には池は見られません。
◎式内大社であり、月次・相嘗・新嘗の幣帛を携わった屈指の大社。現在は社叢に覆われ静かな境内ですが、姫神が祀られるに相応しい美しい社殿に鎮まっています。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。








いつの間にかこのような石碑が立っていました。以前にはなかったように思います。

境内には多くの石碑が立てられています。おそらく歌碑なのだろうと思いますが、解読できないものも。

「池神の 力士舞かも しらさぎかも ほこくひもちて とびわたるらむ」(万葉集巻16-3831、長忌寸意吉麻呂)。「力士舞」とは「伎楽」の一であり、当地周辺は雅楽集団の拠点。秦氏も関わっていたのでしょうが、この地で詠まれた歌かどうかは不明。