十八神社 (宇陀市榛原額井)
(いそはじんじゃ)(はいばらぬかい)


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市榛原額井614
(P有、閉じられていても十分に停め置き可、アクセスに特に困難な道路無し)

■祭神
神倭伊波禮毘古命


額井岳(ぬかいだけ、標高821.6m)」の中腹に鎮座する社。地元民のお話では鎮座地の標高は500mくらいのようです。
「額井岳」は大和富士と称されるほどの秀麗な山、山頂には祠があるとか。社伝では神武東征ゆかりの社とし、ご祭神も神倭伊波禮毘古命。境内からは「国見山(国見丘の方が有力)」や「伊那佐山」など舞台となった山や、額井集落の麓まで見渡せます。また西方には伝説の「鳥見山」の候補地の一つ、「鳥見山(宇陀市榛原)」へも尾根伝いに向かうことができます。
記には神武軍が「稲佐山」を進軍しようとする際に、墨坂にて防戦一方で(楯を並べて防いでいた)、「島津鳥」の「鵜飼」の援軍(主に食糧か)を待っているという切実な歌が載せられています。この「鵜飼」から転訛したものが「額井(ぬかい)」であり、当地のこととしているようです。
◎ところが一般にはこの歌を、宇智郡(現在の五條市)の阿太地方(阿太比売神社芝崎の奇岩など)からの援軍とされています。「島津鳥(島の鳥)」とは「島野(現在の地名)」の「鳥(鵜)」のことであると。確かに当地から「伊那佐山」までであると、一日もかからないはず。敵軍に包囲されているという状態でしたが。やはりここは宇智郡の阿太地方からの援軍と解するべきでしょうか。
◎なお手水舎の水は、「宮山」(当社背後の山、そのさらに背後に尾根続きで「額井岳」)中腹にある龍神を祀る一清の杜(案内板の写真参照)からの湧水であるとか(→ 「額井岳」中腹磐座群か)。山頂にも龍神祠が鎮座しています。


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


勧請縄が300mほど南方麓の集落内にあります。真ん中には竹筒、五穀が入れられているかと思います。





こちらがその手水舎。




写真中央が「伊那佐山」。

写真中央が「国見山」。



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