剱主神社 (中宮奥)


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市大宇陀中宮奥
(社前に寄せて停め置きできそう)

■延喜式神名帳
剱主神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
(不詳)


かつて「白石明神」と称されていた社。背後の岳山山頂に硅石である白石群があるとか。それが御神体であり、江戸時代までは当社は遥拝所であったようです。「大和志料」には「石段ありて社殿無し」と記されています。
◎古代祭祀の有りようが近世まで続けられていたという、希少な例かと思います。いわゆる「遥拝所」、つまり現社地にも硅石が座します。山頂の磐座からいくつかを当地に降ろして来たものと見受けられます。これは比較的新しい時代のことかと思われますが。現在も奥の院として奉斎が続けられているようです(未確認)
◎硅石はガラス材料として利用されることが多く、既に破壊された磐座も全国には多いのではないかと考えられています。当社は近世まで祭祀対象であったために残ったかと。
◎ご祭神については「祭神不詳」というのが公の見解。翻って剱根命とするのは「神名帳考証」。

剱根命は神武東征の際に勲功があり葛城国造となりましたが、その勲功の具体的な記述は著されておらず不明。

◎ここで極めて粗いながらも一つの仮説を。やはりこの一帯宇陀郡は神武東征の舞台となった地。行く手がすべて敵軍に遮られ八方塞がりの状態、それを「弟猾(オウカシ)」の帰順、「天香山」の埴土で皿などを造り天神地祇に祈ったことなどで突破することができました。神話の記述には「坂」が多く登場します。「男坂(後に「半阪」)」「女坂」「墨坂」。山々が立ちはだかっており、進軍するには限られたルートで坂(峠)を越えなければなりません。また現地を訪れると「塞の神」的な神格を持つ神が極度に多く祀られていることに気付きます。神武軍は結界を「坂」の進軍の都度、張っていったのかとも考えます。仮に剱主神社のご祭神を額面通り剱根命とするなら、地面に剱を刺し立ててこちらも「塞」したのではないでしょうか。「女坂」への起点となる地に当社(剱主神社)、「半阪(元は男坂)」への起点となる地にもう一方の剱主神社が鎮座します。これが剱根命の勲功だったのではないかとも思います。当社は山頂の御神体の遥拝所であったと記しましたが、「女坂」の起点となる地で御神体に祈りを捧げる祭祀が神武天皇によって行われた地ではないでしょうか。
◎詳細未確認ながら、鉄滓らしきものが祭祀の対象になっているように思われます。神武東征の別の側面である、鉄などの鉱物確保にちなむものかもしれません。





ご本殿背後、玉垣内の大量の白石(硅石)。





白石(硅石)は境内の至るところに。

こちらは陽石として祀られる「鉄滓」のように思われます。