金村神社


大和国葛下郡
奈良県葛城市大屋213
(P無し、下部写真参照)

■延喜式神名帳
金村神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
大伴金村


式内大社 金村神社に宛てられる社。大正時代の頃には800m四方の社地を有し、西の脇田(山麓線のまだ東方)に一の鳥居があったらしいものの、現在はごく小さな小丘に小祠が座すのみ。往古の面影はまったくありません。
◎創建由緒については不明な点が多く、ご祭神についても諸説有り。まず大伴氏は「大久米の主」と称され、神武東征の際に活躍した軍事氏族。また5~6世紀頃には大連となり隆盛を極めました。ところが大伴金村(欽明朝)の時に、任那4県割譲事件(金村が百済に賄賂絡みで割譲の疑いをかけられる)で失脚、このあと大伴氏は政界から姿を消します。
◎社伝によると「安閑天皇二年に大伴金村の霊を勧請」してきたとしています。ところが紀には、この年に金村が大連になったとあり矛盾。また大伴氏は当地での痕跡が見出だせず、ご祭神とするには甚だ疑問。境内社として葛上郡の八幡神社(伏見)に金村社が鎮座しますが。
◎当社が金村を祀るとするのは社名、そして地名の「大屋」が「大伴室屋」からのものと捉えること、その2点くらいのものでしょうか。室屋は5代の天皇に仕え、大連の姓を賜り大伴氏台頭の立役者。金村の本拠地は住吉の辺りであったとされます。
失脚し衰退した氏族であるだけに復元は困難。反逆を犯した氏族という扱いになるため。式内調査報告では、金村の孫神 大伴不負(フケイ)であるとしています。
◎なお式内大社 葛木倭文坐天羽雷命神社は元々棚機神社に鎮座していましたが、博西神社に遷座。その際に日が暮れたので当地に「日暮神社」を祀ったとされています。その日暮神社を遷座させたのが、現在の葛木倭文坐天羽雷命神社であるとも。その日暮神社が当社境内に祀られています。 





境内社。このどちらかが日暮神社のようです。