「酒船石」と「亀形石造物」・「小判形石造物」及び砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて「酒船石遺跡」呼ばれています。
「酒船石」がその遺跡とは関連が無く別個のものであると、川上邦彦氏等は見ていますが。
また「酒船石遺跡」と斉明天皇の「両槻宮」が関連しているのではという見方があります。
━━「田身嶺(たむのみね、=多武峰)」に冠のように石垣を周らせた。また峰の上に両槻(二本の槻)の辺に観(たかどの、=見張り台)を立て、名付けて「両槻宮(ふたつきのみや)」と為す。また「天宮(あまつみや)」とも言う。天皇は興事(おこしつくること)を好んだ。すぐに水工に溝を掘らせた。「香山(かぐやま)」の西から「石上山」(=「豊田山」、豊田神社が鎮座)に至る。二百隻の舟で「石上山」の石を積載し、水の流れに準じて引き、宮の東の山に石を累積して垣根とした。人々は謗って「狂心の渠(たぶれこころのみぞ)」と言った。損費した功夫(ひとちから)は三万余人。石垣を作る功夫は七万余人。宮材はただれ使えなくなり、山椒(山頂)は埋もれた。また人々は謗った。 「石の山の丘を作るが作った先から自然とこぼれて壊れていく」と━━
この石造物が座す丘は大きく改造された人工丘。これまでのところ延長700メートルまでが確認されているとのこと。
平成四年に三列に渡り施工された石英閃緑岩の列石が発見されましたが、一部に倒壊・修復跡があり、これが「作った先から壊れていく…」に合致するもの。現在では「両槻宮」がこの辺りにあったというのが、かなり有力視されています。
◎酒船石と「亀形石造物」等の遺構の研究
これ等の遺跡について多説あるものの、理工学部の学生3人による研究論文、「酒船石が流体素子であった可能性に関する考察」が最も的を得ているように思います。
「流体素子」とは空気や水などの流体を利用し、電力などを利用せずに流れを制御する素子のこと。丘の最も高い位置に水を送り出す装置があり、そこから土管と堀(ともに出土)を経て「酒船石」へ。そこで流体素子の原理が利用された後、「車石」(出土)を通り「亀形石造物」等の遺構へ接続しているというもの。
「酒船石」が流体素子であることについては実証実験が行われており、また周辺の遺構やその配置位置からすべて整合性の取れるもの。
















