小嶋神社 (高取町下小島)


大和国高市郡
奈良県高市郡高取町下小島405
(P無し、停め置きしても良さそうなスペースがあり、下部写真を参照)

■延喜式神名帳
呉津孫神社の論社

■旧社格
郷社

■祭神
天児屋根命
武甕鎚命
経津主命
比咩大神


高取町「下小島」、かつては「土佐村」集落内に鎮座する社。「日本三大山城」の一つと称される高取城の麓。江戸時代になると生活の不便さから、城内より麓に降りてきて生活を始めたため、城下町が形成されています。
◎古びた集落ではあるものの、すぐ近くに大和国の国府があったとされ、國府神社が鎮座。往時は大和国の中心の一つ。また江戸時代には、城下町として大いに賑わいました。さらに明治には薬の町として復興を遂げました。
◎創建については不明ながら、当地で栄えた「子嶋寺が760年に子嶋神祠のほとりに建てられた」とする記述がいくつかの書にあります。その「子嶋神祠」が当社と考えられ、760年にはすでに祀られていたということになります。
なお神階授与は「三大実録」に、元慶五年(881年)に正六位上から従五位下と見えます。
◎「五郡神社誌」には式内社 呉津孫神社を当社に宛てています。比定社は明日香村の呉津彦神社の境内社。木花咲耶姫命と天児屋根命に追いやられ、ロッカーのボックスのようなブロック積みの中に祀られていますが。
◎「大和志」は━━「小嶋寺縁起」に小嶋神社を呉津孫神と注してあるとみえ、当社を「延喜式」神名帳にみえる高市郡「呉津孫神社」とし、牟佐村主の祖 呉孫権男高の霊を祀ったものと記す━━としています。
◎「新撰姓氏録」には「左京 諸藩 漢 牟佐村主 出自呉孫権男高也」とあります。「呉孫権男高」とは呉国を建国した皇帝 孫権のこと。
◎東漢氏(ヤマトノアヤウジ)配下にあった牟佐氏は、上述のように呉国を出身国と名乗る渡来系氏族が奉斎したと思われる社。高市郡の広範囲に居住したと考えられています。
◎ご祭神の天押雲根命は天児屋根命の御子神。
江戸時代に大和で大流行した「ナモデ踊り」の、絵馬が3枚奉納されています。

*写真は2018年9月と2022年9月撮影のものとが混在しています。


北側より。右端に見えるコンクリ囲いのところがミニ公園の駐車場のようです。いつもここに停め置きこのまま田の畦道を進んでいきます。

こちらが参道。駐車できそうなスペースは無く、またここまでのアクセスはかなりの狭小道路なので、車は困難かと思われます。





ご本殿脇の境内社。


「ナモデ踊り」の絵馬(以下3枚)。