呉津彦神社


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字栗原字的場714
(P無し、50mほど手前の広い道路の脇にいつも停め置きしています)

■延喜式神名帳
呉津孫神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
木花咲耶姫命
天児屋根命


キトラ古墳にほど近い集落の中の丘上に鎮座する社。「栗原」という地は呉人が居住した地。
◎紀に雄略天皇の御代、身狭村主青(ムサノスグリアオ)と檜隈民使博徳(ヒノクマノタミノツカイ ハカトコ)を幾度にも渡り呉国に派遣していました。そして呉国が奉った「手末の才伎(機織り職人という意か)」である漢織(アヤハトリ)・呉織(クレハトリ)」衣織の兄媛(エヒメ)・弟媛(オトヒメ)をこの地に住まわせたとあります(→【書紀抄録】応神天皇・雄略天皇 「縫工女」を求めるの記事参照)。
◎その住まわせた地の一つ「呉原」が「栗原」に転訛したものと考えられています。ちなみに身狭村主青牟佐坐神社に、博徳などの祖神である阿知使主(アチノオミ)は於美阿志神社に鎮まっています。
◎そして当社は社名通り、祖神の呉津彦神を祀った社。いつの頃からかコノハナサクヤ神とアメノコヤネ神に取って変わられていますが。
境内の隅に小さな箱型のものがあり、どうやら2ヶのうち向かって左側が呉津彦神、右側が八王子神。これがそもそもの当社のご祭神であったようです(下部写真参照)。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。








右側(向かって左)が呉津彦神、左側が八王子神。左側は空っぽになっています。