常宮神社
(じょうぐうじんじゃ)


越前国敦賀郡
福井県敦賀市常宮13-16
(P有)

■延喜式神名帳
天八百萬比咩神社の論社
[境内社 天国津彦神社] 天國津彦神社の論社
[境内社 天国津姫神社] 天國津比咩神社の論社
[境内社 天鈴神社] 天鈴神社の論社
[境内社 伊覩神社] 玉佐々良彦神社の論社

■旧社格
県社

■祭神
天八百萬比咩命


氣比神宮の奥宮とする説もある神社。氣比神宮側はきっぱりと否定、当社側はおそらくそうであろうと意見が別れています。氣比神宮の摂社となっていた時期もあります。
◎また式内社 天八百萬比咩神社の比定についても、当社と越前市の大塩八幡宮(境内社の天八百萬比咩神社)が論社として挙がっています。式内社は敦賀郡と記され、大塩八幡宮は越前国南条郡であるので、無理があるかと思います。
◎社伝によると天八百萬比咩神は上古から鎮まっていたとします。そして神功皇后が三韓征伐に向かう際に、一行は氣比神宮を拝してから向かいますが、皇后のみ当社に留まり策を巡らせたとか。
ところが「氣比宮社記」には、皇后を天八百萬比咩命として祀ったとあります。つまり勧請してきたと。いずれが正しいのか、あるいはいずれも違うのか。
◎ご祭神の天八百萬比咩神については、ほとんど何も分かっていません。宮司によると、当社へは古代に養蚕業が盛んだった湖北や越前市内の南条郡などからの参拝者が不思議と多く、社伝通りの養蚕の神であると言われています。
南条郡の方は式内論社があることから分かりますが、湖北は伊香具神社周辺のことかと思います。をはじめ、周辺の神社に天八百萬比咩神が祀られている様子はありません。湖北で名の通る姫神といえば、矢合神社(西浅井町)矢合神社(長浜市)などで祀られる浅井姫あたりくらいのもの。関連があるのでしょうか。あるいは丹後で祀られる豊受大神なのでしょうか。
◎境内社には式内論社4社が鎮座します。天国津彦神社のご祭神は磯良大神(安曇磯良神)。五十猛神と同神ではないかと考えています。そして塩土老翁神として顕現したのではないかとも。塩土老翁神は住吉大神と同神であるとも考えています。さらに武内宿禰神が存命中に、そ安曇磯良大神の生まれ変わりとしてみなされたとも。
◎天国津姫神社のご祭神は龍女神。こちらはまったく不明。天鈴神社のご祭神は住吉大神。
伊覩神社のご祭神は白木彦神。神名から渡来系の神かと思われます(白木=新羅)。玉佐々良神とも、高良玉垂神とも考えられています。高良玉垂神は武内宿禰とする説もあります。







東殿宮、日本武尊。

西殿宮、武内宿禰尊。


こちらが式内4論社。

神門から若狭湾を。氣比神宮を遥拝する拝殿であるそうです。