志那都比古神社 (風の森神社)


大和国葛上郡
奈良県御所市鴨神
(西側に駐車場らしきもの有、ただし墓地と共有、道は広くはないが注意して走れば問題無し)

■祭神


「風の森峠」の頂に鎮座する古社。金剛・葛城山麓を南北に走る山裾の道「葛城古道」の途上にあるのが「風の森峠」。その頂からは美しい田園風景と、その先に聳える「高天山(金剛山)」と「大和葛城山」が望めます。そのようなひっそりと隠れるように佇む古社。
◎当社は鴨族が行っていた、蹈鞴(たたら)製鉄(銅を含む)に不可欠な暴風を祈る社であろうと思われます。
峠の南側は「西佐味(にしさび)」「東佐味(ひがしさび)」という鍛治製鉄の名残の地名があり、ここは「金剛降ろし」が吹くという夏場でも冷房無しで過ごせるほどのところ(近年の温暖化で現在は不明)。そして葛城襲津彦が新羅から連れ帰った捕虜を住まわせたという、四邑のうちの「佐糜邑(さびむら)」の推定地。
◎近くの高鴨神社には地下鉱脈が通っているとされ、周辺は古代の一大製鉄地帯であったとも考えられます。その高鴨神社と当社とは一対であったとも言われています。当地名「鴨神」はその流れを汲むものかと思います。
◎「上鴨社」と称される高鴨神社に対して、「中鴨社」と称される葛木御歳神社。そちらの奥山から尾根続きの「唐笠山」にかけて、かつては銅山があり、弥生時代から採掘されていたのではないかと考えられています。
葛木御歳神社の奥山や「唐笠山」から、南側の「五百家(いうか)」を通り、当地を経由し高鴨神社の方へ搬送されていたとしているのは谷川健一氏(「青銅の神の足跡」より)。
◎かつて鴨族が採鉱し鍛冶を行っていたものが、葛城氏の当地入植、さらに葛城氏が束ねていた渡来人たちがそれに従事し、取って変わられたように思います。

*写真は2018年8月と2021年8月撮影のものとが混在しています。


手前は寺院と墓所。

赤い車の停まっているところが駐車スペース。

ここから登り、正面は寺院関係のもの。左手に十数基ほどの墓所があります。その間から十段足らずの石段を登ると当社境内へ。

崩れていた石段は直されたようです。



神前には鉄屑が奉納されています。

天誅組関連の案内。

向かって右端が「大和葛城山」、向かって左が「高天山(金剛山)」。