住吉神社 (御所市南郷)


大和国葛上郡
奈良県御所市南郷1565
(P無し、社前道路に路駐か)

■旧社格
村社

■祭神
底筒男命
中筒男命
表筒男命
息長帯比売命


「高天山(金剛山)」の東麓、丘陵地「御所市南郷(なんごう)」集落内に鎮座する社。かつては「みなみさと」と称されていたようです。
住吉大社から勧請してきたという社、社伝では白鳳年間の創建とされています。道を挟んだ向かいの仏教施設に十三重石塔というものがあり、それをご神体とする説も。懸仏などもあるらしく、いずれにしても仏教にまみれてしまっているのが少々残念。
◎鎮座地は葛城氏の本拠地であったとされる「極楽寺ヒビキ遺跡」の北北東100m余りと非常に隣接。それに伴い住吉仲皇子(スミノエノナカツミコ)にまつわる社ではないかとする説も。
◎住吉仲皇子は、仁徳天皇と后である磐之媛(父は葛城襲津彦)との間に生まれた皇子。兄は履中天皇、弟は反正天皇と允恭天皇。
◎仁徳天皇の崩御後に去来穂別(イザサホワケ、後の履中天皇)が葛城黒媛を后にしようと、住吉仲皇子を遣いとして出しますが、自らを太子と偽り黒媛を犯してしまいます。発覚を恐れた住吉仲皇子は去来穂別の宮を焼くも、去来穂別は脱出し難を逃れ、瑞歯別(ミヅハワケ、後の反正天皇)の命により住吉仲皇子は殺害されたという事件(参照 → 葛城市薑の春日神社)。
◎仮にこの説を取るとすれば、当地は住吉仲皇子の邸宅跡だったのではないかという想像も膨らみます。また当社の創祀は当時からという可能性も。「極楽寺ヒビキ遺跡」と至近距離であるだけに十分にあり得るかと考えています。
◎当社もこの辺りに多い東面したご本殿。写真では分かりづらいものの、「高天山(金剛山)」がくっきりと見え、意識して建てられているのがよく分かります。葛城氏が一族の「神奈備山」といった風に考えていたものと思います。

*写真は2018年8月と2021年6月撮影のものとが混在しています。









上の写真の当社付近から「高天山(金剛山)」までを拡大したもの。残念ながら「極楽寺ヒビキ遺跡」の表記は無し。この絵地図だと当社の⑥と重なります。


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