春日神社 (葛城市薑)


大和国忍海郡
奈良県葛城市薑248
(P無し、近隣停め置き不可、スーパー「オークワ葛城忍海店」より東へ線路を越え100mほど初めての辻を南へ50mほど)

■祭神
(不明)


かつての忍海郡の東端「薑(はじかみ)」の集落北端に鎮座する社。
◎ムクノキの巨樹とその根元に小祠、それだけの社。創建由緒等について語る資料は見当たらず不明。「薑」にはもう一社、笛吹若宮神社が鎮座。こちらは葛木坐火雷神社の氏子枝宮。おそらく当社が「薑村」の鎮守社であったように思います。かつてはどのような神社だったのでしょうか。
◎「薑」は「大和志」によると、紀の履中天皇即位前紀にある「攪食の栗林(かきはみのくるす)」の「攪食(かきはみ)」が「薑(はじかみ)」に転訛したものとしています。また小字「栗坪」が「栗林」と関係があるのではないかと。ただし平安中期の「和名類聚抄」には忍海郡に「栗栖」郷があったと記されており、これは無視されてしまっているのでしょうか。
◎「攪食の栗林」が記されるのは履中天皇が即位前の太子の時のこと。太子は黒媛を妃にしようと、弟の住吉仲皇子(スマヨシノナカツミコ)を遣いに出します。ところが仲皇子は自分こそが太子であると偽り黒媛と結ばれます。それが発覚したために、仲皇子は逆に太子を殺そうと宮に火を着けます。太子は何とか逃出し対峙する場面。仲皇子の側近であった倭直吾子籠(ヤマトノアタイアゴコ)が、太子の行く手を阻むために「攪食の栗林」に兵を集めていたというもの(参照 → 御所市南郷の住吉神社)。
当地周辺に関わらず、大和盆地はほとんどが起伏の無い地が延々と続く平坦地。例え阻まれたとしてもどこからでも進軍はできたと思うのですが。


軽トラ程度ならギリギリ境内に入られそうですが…。