大村神社


伊賀国伊賀郡
三重県伊賀市阿保1555
(P有、麓の一の鳥居前と境内裏まで上がったところの2ヵ所有)

■延喜式神名帳
大村神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
大村神
[配祀] 武甕槌命 経津主命 天児屋根命
[合祀] 応神天皇 大日靈貴命 天押雲命 市杵島比売命 大物主命 大山祇命 事代主命 火之迦具土命 建速須佐之男命 多岐里毘売命 狭依毘売命 多岐律比売命 水波能売命 宇迦之御魂神 速玉男神 月夜見命 稲田姫命


「木津川」中流域、「初瀬街道」(国道165号線)に面した丘陵地、伊賀市「阿保」に鎮座する社。「阿保村」は、垂仁天皇皇子である息速別命が宮室を営んだとされる地。

◎社伝によると「大村神」は息速別命に宛てられ、その後裔氏族が祀った社であるとしています。つまり伊賀国の水田地帯を開発した阿保朝臣氏の祖神が祀られていると。
◎「新撰姓氏録」に、息速別命が第11代垂仁天皇の皇子で、幼少の時に天皇は当地に宮室を設け居住させました。その「阿保頓宮跡」「息速別墓」(治定墓)が近くにあります。ちなみに倭姫命の弟神にあたります。
◎確証できる資料は存在しないものの、概ね信用できるものと言えるでしょうか。創建は別として、当時より祖神を崇める何らかの祭祀が行われていたと思われます。
◎社名については「阿保(あお)村(邑)」からの転訛、「大きな村」からの由来、かつて呼ばれていた「大森神社」からの転訛など多説あるとのこと。「青山町史」は「阿保」は地名として変化せず残っているのに、社名は転訛するというのは考え難いとして退けてはいますが、ごく自然に考えて「阿保村」からの転訛とするべきでしょうか。
◎境内は丘の上にあり、大きな社叢の中には円墳がいくつかあるようです。治定された近くの「息速別墓」は築造年代の相違が見られることから、境内の円墳の中のいずれかが該当するとも言われています。
◎大村神の他には配祀神として春日三神が祀られ、現在はこちらの方が有名になっています。神護景雲二年(768年)鹿島神宮から春日大社へと遷幸される際に、当地に立ち寄り神霊がとどまったとされています。
またさらに当社を有名にしているのが境内社の要石社。地震除災にご神徳があるとされています。安政の大地震や特に近年の大地震でご神威を発揮されたとか。
これは鹿島神宮奥宮でも祀られていて、春日三神の一柱でもある武甕槌神が、地底奥深くで暴れる大鯰(なまず)や龍を巨石(要石)で押さえ付けているという観念のもの。
ところが問題は、関西地方を襲った599年の大地震。隣の名張市に鎮座する名居神社は「なゐ(地震の古語)」の神を祀っています。このことと関連があるのかもしれません。





ご本殿はもちろん春日造り。

地震の底知れぬ恐怖を思えばこんなものでいいのか?などと考えるのは無粋というものなのでしょうか。

境内社 要石社

こちらが「要石」。鹿島神宮奥宮のものと同じなら地上に現れているのはごくわずかだと思われます。